アンナ・アルマ=タデマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 08:38 UTC 版)
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アンナ・アルマ=タデマ
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| Anna Alma-Tadema | |
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ローレンス・アルマ=タデマによる15歳アンナの肖像画 (1883)
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| 生誕 | 1867年5月16日 ベルギー、ブリュッセル |
| 死没 | 1943年7月5日(76歳没) イギリス、ロンドン |
アンナ・アルマ=タデマ(Anna Alma-Tadema、1867年5月16日 - 1943年7月5日)は、イギリスの画家である。画家のローレンス・アルマ=タデマ(1836-1912)の娘である。肖像画や室内画などを描いた。ジェット(女性参政権運動家)としても活動した。
略歴
ベルギーのブリュッセルで生まれた。画家のローレンス・アルマ=タデマと最初の妻との間の次女で[1] 、父親と同名の姉ローレンス(Laurence Alma-Tadema: 1865-1940)は小説家・詩人になった。 1869年に母親が亡くなった。実母が亡くなった後、父親とロンドンに移り、4歳になった1871年に父親は画家のローラ・テレサ・アルマ=タデマ(1852-1909)と再婚した[2]。
ロンドンで育ち、父親と実母、継母も芸術で、家庭で教育を受けた。父親は2度アンナをモデルに肖像画を描き15歳のアンの肖像画は、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに所蔵されている[3]。
風俗画、風景画を制作し、1885年から1907年の間にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に15回出展したが、父親や継母の作品に比べて評価が低かった。1893年のシカゴ万国博覧会には10代の頃に描いた室内画を出展した[4]。
アンナも姉のローレンスも結婚しなかった[5]。貧困の中でロンドンで亡くなった。
作品
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アルマ=タデマ家の書斎(1884)
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ボンネットを付けた女性(1902)
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タウンゼンド・ハウスの応接室(1885)
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春の喜び(c.1914)
脚注
- ^ “Marie-Pauline Gressin Dumoulin de Boisgirard” (英語). 2025年3月29日閲覧.
- ^ Pettey, p. 17
- ^ Miss Anna Alma-Tadema, su royalacademy.org.uk.
- ^ Halsey Cooley Ives (1893). World's Columbian Exposition, 1893: Official Catalogue. Part X. Department K. Fine Arts (英語). W.B. Conkey. p. 139.
- ^ Pettey, p. 18
参考文献
- Chris Petteys, Dictionary of women artists : an international dictionary of women artists born before 1900, Boston, G.K. Hall, 1985, ISBN 978-0816184569.
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