アンドリュー・ロロ (第5代ロロ卿)とは? わかりやすく解説

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アンドリュー・ロロ (第5代ロロ卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 05:09 UTC 版)

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1758年頃の肖像画

第5代ロロ卿アンドリュー・ロロ英語: Andrew Rollo, 5th Lord Rollo1703年11月18日1765年6月20日)は、イギリスの貴族、陸軍軍人。フレンチ・インディアン戦争への参戦で知られる。

生涯

第4代ロロ卿ロバート・ロロとメアリー・ロロ(1685年 – 1765年4月16日、サー・ヘンリー・ロロの娘)の息子として生まれた[1]

1743年にイギリス陸軍に入隊、同年にデッティンゲンの戦いに参戦した[1]。デッティンゲンでの戦功により第22歩兵連隊英語版の大尉に昇進した[2]。その後、1750年に少佐に、1756年に中佐に、1762年に大佐に昇進した[2]。一方でアメリカ方面軍には代将として従軍、フレンチ・インディアン戦争においては1758年のルイブール包囲戦、1760年のカナダ征服、1762年のマルティニーク島侵攻に参加した[1]。また、戦争中の1758年3月8日に父が死去すると、ロロ卿の爵位を継承した[1]

1765年6月2日に死去、息子ジョンに先立たれたため弟ジョンが爵位を継承した[1]

家族

1727年4月22日、キャサリン・マレー(1763年7月28日没、ジェームズ・マレーの次女)と結婚、1男1女を儲けた[2]

  • アン(1720年10月24日 – 1746年12月9日) - 子供なし
  • ジョン(1736年12月6日 – 1762年1月24日) - 陸軍軍人。マルティニーク島にて病死、子供なし

1765年2月17日、エリザベス・マリ(Elizabeth Moray、1781年5月6日没、ジェームズ・マリの次女)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

出典

  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 395.
  2. ^ a b c d "Rollo, Lord (S, 1651)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年7月24日閲覧
スコットランドの爵位
先代:
ロバート・ロロ
ロロ卿
1758年 – 1765年
次代:
ジョン・ロロ



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