アントニオ・ゴンサレス・ベラスケスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アントニオ・ゴンサレス・ベラスケスの意味・解説 

アントニオ・ゴンサレス・ベラスケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 02:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アントニオ・ゴンサレス・ベラスケス
Antonio González Velázquez
<snall>ザカリアス・ゴンサレス・ベラスケスによる肖像画
生誕 1723年
スペイン、マドリード
死没 1793年
スペイン、マドリード

アントニオ・ゴンサレス・ベラスケス(Antonio González Velázquez、1723年 - 1793年)はスペインの画家である。

略歴

マドリードで生まれた。父親はアンダルシア出身の彫刻家、パブロ・ゴンサレス・ベラスケス(Pablo González Velázquez:1664-1727)で、1702年からマドリードで働いた。兄に画家のルイス・ゴンサレス・ベラスケス(Luis González Velázquez:1715–1763) と建築家のアレハンドロ・ゴンサレス・ベラスケス(Alejandro González Velázquez:1719–1772)がいる。

王立サン・フェルナンド美術アカデミーで学び始め、1747年にアカデミーから奨学金を得て、ローマに留学した。ロココ期の画家、コッラード・ジアキント(Corrado Giaquinto:1703-1766)に学び、1748年にジアキントに指導されてローマのサンティッシマ・トリニタ・デリ・スパニョーリ教会の壁画を制作するなどして、評価された。1752年にスペインに帰国すると、サラゴサの 聖母ピラール教会(Basilique de Nuestra Señora del Pilar)の施設の壁画の制作を建築家のベンチュラ・ロドリゲスから依頼された。

1757年にフェルナンド6世の宮廷画家に任じられ、兄のルイスと王宮の装飾画の仕事をした。

1765年に王立アカデミーの校長になり、終生その仕事を続けた。教えた学生にはマリアーノ・サルバドール・マエラらがいて、後にマエラはアントニオ・ゴンサレス・ベラスケスの娘と結婚した。

息子のザカリアス・ゴンサレス・ベラスケス(Zacarías González Velázquez:1763-1834) も画家になった。

作品

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アントニオ・ゴンサレス・ベラスケスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントニオ・ゴンサレス・ベラスケス」の関連用語

アントニオ・ゴンサレス・ベラスケスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントニオ・ゴンサレス・ベラスケスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントニオ・ゴンサレス・ベラスケス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS