アンチの上貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/06 23:20 UTC 版)

アンチの上貝塚(アンチのうえかいづか)は瀬底島にある4つの遺跡(瀬底島港南方遺跡、瀬底貝塚、瀬底唐泊遺跡)の中の一つである。現在はサトウキビ畑となっている[1]。
今から1000年ほど前の沖縄貝塚時代後期の遺跡であり、瀬底大橋の下にある。2002年(平成14)年から述べ6年に渡って実施された緊急発掘調査では、土器片、石器、貝製品のほか大量の貝類が出土した。特に、県内最大規模のイモガイ集積遺構が確認され、貝が貴重な交易品として保管されていたことが示されている[2]。
所在
アンチの上貝塚は、沖縄本島西岸沖の瀬底島に位置し、瀬底大橋のたもとにある石灰岩段丘上の海浜砂丘に立地する。この貝塚は沖縄の時代区分である編年における後期(およそ3000年前から2300年前)に属する[3]。
- 北緯(日本測地系)度分秒 263824
- 東経(日本測地系)度分秒 1275224
主な遺構・遺物
遺構
- 小貝塚(8)
遺跡(主な時代:弥生~古墳時代相当)
- 土器(4148)
- 石器(打製石鏃(2)石錐(1)スクレイパー(2)剥片(73)石核(40)打製石斧(2)磨製石斧(3)敲石(3)磨石(3)凹石(1)複合礫石器(9)スタンプ形石器(2)チョッピングトゥール(2)台石(1)石皿(8)砥石(1)石錘(3))
- 貝製品(環状貝製品(1)獣形貝製品(1)貝輪(3)貝輪未製品(2)貝輪製作工程破損品(10)貝匙(7)ホラガイ・ナガイトマキボラ製容器(2)スイジガイ製利器(1)螺蓋製敲打器(12)貝製漁網錘(64)貝皿(10)ホラガイ不明研磨製品(1)穿孔貝不明製品(1))
- 骨製品(1)
- 動物遺存体(貝類、脊椎動物)
- 人骨[5]
歴史
- 2002年(平成14年)2006年(平成18年)2007年(平成19年)の3度に渡り個人住宅の建設の為発掘調査が行われた。2002年(平成14年)の発掘調査の際に県内最大と言われる大規模なイモガイ科の集積遺構が発見され、一躍注目を集めることとなった[6]。
- 弥生時代の九州では、貝輪の素材として琉球列島に棲息するイモガイやゴホウラの需要が高まり、これを背景に沖縄と九州の間に新たな交易関係が結ばれていった。これは「貝の道」と呼ばれ、このアンチの上貝塚以外にも伊江島の具志原貝塚で交易用と見られる貝がまとめて置かれた貝集積遺構が検出されている[7]。
脚注
- ^ 『『本部町の遺跡』』本部町教育委員会、92頁。
- ^ “「本部町アンチの上貝塚 本部町字瀬底」”. 2025年9月5日閲覧。
- ^ 『「瀬底島・アンチの上貝塚」』本部町教育委員会、2005年3月、209頁。
- ^ “「本部町アンチの上貝塚 本部町字瀬底」”. 2025年9月5日閲覧。
- ^ 『『瀬底島・アンチの上貝塚』』本部町教育委員会。
- ^ 「アンチの上貝塚」、本部町立博物館、展示解説パネル、閲覧日: 2025年9月5日。
- ^ “「弥生から平安時代の沖縄」沖縄県公式ホームページ”. 2025年9月5日閲覧。
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