アロルド・ボンザーニとは? わかりやすく解説

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アロルド・ボンザーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 04:57 UTC 版)

アロルド・ボンザーニ
Aroldo Bonzagni
ボンザーニ作「モンツァのトラム」
生誕 (1887-09-24) 1887年9月24日
チェント
死没 1918年12月30日(1918-12-30)(31歳)
ミラノ

アロルド・ボンザーニ(Aroldo Bonzagni、1887年9月24日 - 1918年12月30日)はイタリアの画家、イラストレーターである。ウンベルト・ボッチョーニの友人で、1910年に『未来派画家宣言』に署名した一人である。

略歴

フェラーラ県チェントで生まれた。地元の絵画・工芸学校で マリアリーニ(Marcello Basilio Mallarini: ?-1902)という画家に学んだ後、マリアリーニの勧めで、1906年に母親とミラノに移り、ブレラ美術アカデミーに入学し、チェーザレ・タッローネ (1853-1919)に学んだ。

カルロ・カッラ(1881-1966)や、ウンベルト・ボッチョーニ(1882-1916)、ルイージ・ルッソロ(1885-1947)といった前衛的なスタイルの画家と親しくなり、1910年に『未来派画家宣言』に署名した一人となったが、後に未来派のグループから距離を置いた。

ウィーン分離派」の機関誌「ヴェール・サクルム(Ver sacrum)」などからウィーン分離派のアーティストの作品を知り、影響を受けより写実的なスタイルのグラフィック・アートの分野の作品を多く制作した。

1912年にミラノの「落選展(Mostra della pittura e scultura rifiutata)」に出展し、ヴェネツィア・ビエンナーレにも出展した。1913年にはベルガモ で開催された「全国風刺画展(Mostra nazionale della caricatura)」に出展した。1914年にアルゼンチンに渡り、展示会を開き、アルゼンチンの雑誌の挿絵を提供し、ブエノスアイレスの競馬場の壁画を制作した。イタリアに戻り1915年にミラノで作品展を開いた。

第一次世界大戦が始まると多くの愛国的なイラストを描いた。

1918年12月、スペインかぜによって31歳で亡くなった。

1959年に開かれた「ミラノの芸術の50年展-印象派から今日まで(50 anni d'arte a Milano. Dal divisionismo ad oggi) 」という展覧会でボンザーニの作品の何点かが展示された[1]

作品

脚注

  1. ^ 50 anni d'arte a Milano. Dal divisionismo ad oggi. Vallardi. 1959. p. 24.

参考文献

  • R. Barilli, F. Gozzi, M. Torza, Aroldo Bonzagni, nell'espressionismo italiano, Ed. Mazzotta, 1988
  • Jane Turner (a cura di), The Dictionary of Art. 4, p. 340. New York, Grove, 1996. ISBN 1884446000
  • P. Morselli, F. Gozzi, U. Montanari, Carnevalesca, il travestimento, la festa, catalogo della mostra a Cento, Ed. Siaca, Cento, 2003



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