アレクサンドル・フョードロヴィチ (ミクリン公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 03:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アレクサンドル・フョードロヴィチ Александр Фёдорович |
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ミクリン公 | |
在位 | 1410年 - 1435年 |
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出生 | 1391年以降 |
死去 | 1435年 |
配偶者 | マリヤ・イヴァノヴナ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ミクリン公フョードル |
母親 | アンナ・フョードロヴナ・コシュカ |
アレクサンドル・フョードロヴィチ(ロシア語: Александр Фёдорович、1391年以降 - 1435年)は、ミクリン公フョードルの子である。ミクリン公:1410年 - 1435年。
生涯
父の死後、ミクリン公国を弟のフョードルと分割相続した。ただし分割地の詳細は不明である。フョードルの業績に関する史料は少なく、年代記には、1412年における、ヤロスラヴリ大公イヴァン(ru)の娘マリヤとの結婚に関する記述がみられるのみである[1]。
1435年に死亡し[2]、遺領は2人の息子に分割相続された。すなわち、ミクリノを得たボリスと、テリャテヴォを得たフョードルである。フョードルの所領はテリャテヴォ公国(ru)を成した。
妻子
妻はヤロスラヴリ大公イヴァン(ru)の娘マリヤ(1412年結婚)。子には以下の人物がいる。
- ボリス
- フョードル
出典
- ^ Экземплярский А. В. Великие и удельные князья Северной Руси в татарский период, с 1238 по 1505 г. — Т. 2: Владетельные князья владимирских и московских уделов и великие и удельные владетельные князья Суздальско-Нижегородские, Тверские и Рязанские. — С. 552—553.
- ^ Коган В.М., Домбровский-Шалагин В.И. Князь Рюрик и его потомки: Историко-генеалогический свод. — С. 207.
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