アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ Александра Брячиславна |
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ウラジーミル大公妃 | |
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アレクサンドラとアレクサンドル・ネフスキーの結婚
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在位 | 1252年 - 1263年 |
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出生 | 13世紀 |
埋葬 | ウラジーミル、ウスペンスキー・クニャジーニン・モナストィリ |
配偶者 | ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキー |
子女 | ヴァシリー ドミトリー アンドレイ ダニール エヴドキヤ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ポロツク公ブリャチスラフ |
アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ(ロシア語: Александра Брячиславна)は、ポロツク公ブリャチスラフの娘である。また、いくつかの史料には名をパラスケヴァと記すものがある。
生涯
1238年にノヴゴロド公アレクサンドル(後世にアレクサンドル・ネフスキーと称される)と結婚し[1]、間に複数の子を成した。
没後はウラジーミルのウスペンスキー・クニャジーニン・モナストィリ(ru)(直訳:生神女就寝祭の - 公妃の - 修道院)に葬られた[2][注 1]。現ロシア正教会のウラジーミル管区(ru)では、ユリウス暦11月23日(グレゴリオ暦12月6日)をアレクサンドラの記憶日としている。なお修道名はおそらくヴァッサであったと考えられている。
子女
夫アレクサンドルとの間に以下の子がいる。
脚注
注釈
出典
- ^ Александра Брячиславна // Русский биографический словарь — СПб.: 1896. — Т. 1. — С. 114.
- ^ Свято-Успенский Княгинин женский монастырь. Святыни под спудом.
参考文献
- Карпов А. Александр Невский. — М.: Молодая гвардия, 2010. — С. 89.
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