アレクサンダー・フォン・クールラント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 02:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アレクサンダー・フォン・クールラント Alexander Prinz Kurland |
|
---|---|
![]() |
|
|
|
出生 | 1658年10月18日 |
死去 | 1686年6月28日(27歳没)![]() |
家名 | ケトラー家 |
父親 | クールラント公ヤーコプ・ケトラー |
母親 | ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・ブランデンブルク |
アレクサンダー・フォン・クールラント(Alexander Prinz von Kurland, 1658年10月18日 - 1686年6月28日)は、ブランデンブルク=プロイセンの軍人。大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの甥にあたる。「隻腕(Der Einarmige)」とあだ名された。
生涯
クールラント公ヤーコプ・ケトラーとその妻でブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるルイーゼ・シャルロッテの間の末息子として生まれた。母の実家ブランデンブルクの軍隊に仕えて陸軍大佐となり、1683年に新設されたクールラント歩兵連隊(Regiment Kurland zu Fuß)の連隊長に任命された。同連隊は後にアルトプロイセン第10歩兵連隊(Altpreußisches Infanterieregiment No. 10)として再編・改称された。連隊を率いて大トルコ戦争に従軍したが、ブダ包囲戦(Belagerung von Ofen)中の1686年4月26日に致命傷を負い、ウィーンへ移送される途中にショプロンの町を前にして死去した。27歳だった。
参考文献
- Leopold von Zedlitz-Neukirch, Pantheon des Preussischen Heeres, S.352, Digitalisat
- アレクサンダー・フォン・クールラントのページへのリンク