CIMA (プロレスラー) 入場曲

CIMA (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 07:47 UTC 版)

入場曲

CIMAロワイヤル

2011年末にオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した後、2012年内の王者・CIMAへの次期挑戦者はバトルロイヤル形式の「CIMAロワイヤル」で決められていた。

  • 2012年1月15日・大阪府立体育会館・第二競技場「CIMAロワイヤル1」 - ジミー・ススム
  • 2月20日・兵庫・神戸サンボーホール「CIMAロワイヤル2」 - PAC
  • 4月7日・愛知・名古屋テレピアホール大会で「CIMAロワイヤル3」 - サイバー・コング
  • 5月19日・大阪・BODYMAKER COLOSSEUM「CIMAロワイヤル4」 - 問題龍
    5月27日の佐賀・諸富ハートフル大会でKING OF GATE2012優勝者の堀口元気H.A.Gee.Mee!!と問題龍が次期挑戦者決定戦を行い、堀口が次期挑戦者となった。
  • 6月24日・兵庫・神戸サンボーホール大会「CIMAロワイヤル5」 - 戸澤陽
  • 8月2日・東京・後楽園ホール大会でオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ選手権試合 ~CIMAロワイヤル6~を土井・吉野組と鷹木・YAMATO組が争い、フォールしたYAMATOが次期挑戦者となった。
  • 同日、メイン終了後に「CIMAロワイヤル」を緊急開催。土井・ジミー・神田・谷崎なおき新井健一郎が争い、土井が勝ち上がった。そして防衛戦終了後、乱入した谷崎が挑戦を表明した。しかし、CIMAはこれを「お前とのドリームゲートはナシや。ドリームゲートに挑戦したいんやったら、ドリームゲートのルールに従ってCIMAロワイヤルに勝ち上がってこいや!」と却下したが、シングルマッチを了承した。10月12日の東京・後楽園ホール大会でランバージャックマッチを行い、勝利した。
  • 9月30日・兵庫・神戸サンボーホール大会「CIMAロワイヤル8」 - 吉野正人
  • 11月23日の佐賀・諸富ハートフル大会メイン終了後、CIMAは鷹木信悟B×Bハルクのマイク中に乱入、挑戦者の証であるカギを2つ用意して12月23日、福岡・国際センター大会のメインイベントで史上初のオープン・ザ・ドリームゲート選手権試合3wayマッチ~CIMAロワイヤル最終章~を行うと発表し、3way戦でも防衛を果たした。

リングネーム

CIMAが現在と過去に用いていたリングネーム。

  • 大島伸彦
  • シーマ・ノブナガ
  • SHIIMA
  • CIMA(現在使用中)
  • cima(ジミーズと共闘時のみ控えめに小文字)
  • シバ(WWE

シーマ・ノブナガとCIMAのリングネームの由来は当時修行していたメキシコの人々がオオシマという発音がうまくできず、オッシーマとなってしまうことと、当時、兄が乗っていた車「シーマ」がかっこ良かったからという二つの理由からである。







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