豊平晋一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/21 14:13 UTC 版)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県鹿屋市 |
生年月日 | 1957年5月18日(63歳) |
身長 体重 |
180 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手・ 外野手 |
プロ入り | 1975年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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来歴・人物
鹿児島県から野球留学し、岐阜県の中京商業高等学校に入学。1年下のエース今岡均を擁し、四番打者、三塁手として1975年夏の甲子園に出場。1回戦で有賀佳弘のいた早実高を完封で降すなど勝ち進み、準々決勝に進出。しかし広島商の山村力人(東洋大-三菱重工広島)に完封を喫する[1]。広島商には遊撃手の谷真一がいた。同年の全日本高校選抜チームによる米国西海岸・ハワイ遠征にも今岡とともに選出される。
1975年のドラフト会議で阪神から6位指名され入団。長距離打者として期待されたが一軍公式戦には出場がなく、1980年限りで引退。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場無し
背番号
- 38 (1976年 - 1980年)
脚注
関連項目
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- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- 1 豊平晋一とは
- 2 豊平晋一の概要
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