角能線 (湖国バス) 角能線 (湖国バス)の概要

角能線 (湖国バス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 23:26 UTC 版)

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片道を43分間で走り、2台の中型バスで相互運行している(愛知川付近で、片道1回離合する)。

概要

JR能登川駅と近江鉄道愛知川駅、愛荘町、東近江市東部を結ぶ路線である。古くからの生活道路を通行するため、歩道のない片側1車線道路がほとんどで、大型トラックやトレーラーなどとの離合が困難な箇所が多々ある(能登川駅から御幸橋南の区間、愛荘町内の矢守や島川の区間など)。道幅が開通当時の大正時代、もしくはそれ以前と変わらない区間もある。

しかしながら、観光目的で乗車する場合は、湖東平野ののどかな田園風景が楽しめる。沿線の観光名所としては、湖東三山の一つである百済寺がある。

経緯

角能線の由来は、もともと角井村(かくいむら)から能登川駅までを結ぶ路線として開通したことによる。角井村は1955年(昭和30年)に隣の西小椋村と合併して愛東村(のちに町制を敷いて愛東町)となり、さらに現在は東近江市となっている。

角能線の開通以前は、愛渓自動車が1920年(大正9年)に能登川駅と愛知川駅を結ぶ路線を開通させていた。昭和初期に近江鉄道が会社を買収して、角井村平尾(現・東近江市平尾町)までを結ぶ「角能線」とした。現在の東近江市内を走る最古のバス路線である。

運行範囲の変遷

現在は、能登川駅 - 佐生団地 - 愛知川駅 - 湖東記念病院 - 百済寺本町 - 市ヶ原の区間を運行区間とし、停留所は計33ヶ所である。1920年代の開通当時は平尾まで運行され、昭和30年代には永源寺まで延長されていた。しかし、利用者の減少によって市ヶ原までの路線となった。

昭和後期から平成初期までは、金剛輪寺を経由していた。また、1990年代初頭から2003年頃までは、クレフィール湖東を経由していた。湖東記念病院は、病院の完成に伴って経由するようになった。

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