栗橋城 遺構

栗橋城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 01:15 UTC 版)

遺構

東部の遺構が比較的状態がよく、五霞町・法宣寺裏手・西側から西北側には『利根川図志』で「七曲り」と称せられた堀跡が現存。法宣寺南側の民家周辺にも堀跡が残る。郭には土塁も残る。一方、内郭など中心部は耕地や民家に変わっている[4][7]

『利根川図誌』によれば、城跡は五霞町元栗橋と埼玉県久喜市栗橋にまたがり、川によって2つに分かれているが、現在、権現堂川西岸の埼玉県側遺構は壊滅状態で確認できない[4]。前述の通り、西岸に城域は展開していなかったとする見解もある[7]

関連項目

参考文献

  • 赤松宗旦 著、柳田国男 校訂 『利根川図志』(岩波文庫) 岩波書店、1938年
  • 茨城城郭研究会 編 『図説 茨城の城郭』 国書刊行会、2006年
  • 佐藤博信 編 『戦国大名論集3 東国大名の研究』 吉川弘文館、昭和58年(1983年)
  • 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 総和町、平成17年(2005年)

  1. ^ 「栗橋城址」五霞町公式HP
  2. ^ 佐藤博信「北条氏照文書の再検討―氏照研究のために―」(『日本歴史』332号、1976年)
  3. ^ 黒田基樹『古河公方と北条氏』(岩田書院、2012年)77 – 89頁(栗橋城主野田氏の没落)
  4. ^ a b c d 茨城城郭研究会編『図説 茨城の城郭』(国書刊行会、2006年)185頁
  5. ^ a b 『総和町史 通史編』511-523頁(関東の二大河川水系と水海・内山俊身執筆)
  6. ^ 赤松宗旦 著、柳田国男 校訂 『利根川図志』 岩波書店、1938年、88-93頁(古河城舊址)
  7. ^ a b c 伊禮正雄「栗橋城の歴史と構造」(『戦国大名論集3 東国大名の研究』吉川弘文館、1983年)


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