松前ピリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 04:39 UTC 版)
経歴
平取小学校を卒業後、17歳で芸能の道を志し、旅芸人の一座に参加し、ピリカ花子と名乗った。20歳から松前ピリカを名乗った。美声で知られ、「松前ピリカ一座」を主宰し数十名の団員を引き連れ、各地を巡業し、一世を風靡した。また、津山洋子・高樹一郎らの後輩を養成した。漫才師の東けんじが在籍していたこともある[1]。
ふるさとのための慈善活動をしたことも知られ、彼女およびその他の村民の寄付により、戦前には消防車や「平取号」という名前の飛行機などが寄贈され、戦後は義経公園内の千本桜などを植樹したことが知られる[2]。
1948年2月22日、出身地である平取町で行われたイオマンテの資金提供をした。このイオマンテは「松前ピリカのイオマンテ」と呼ばれている[3]。
平取町内の義経公園内に顕彰碑がある。
代表曲
- 北海ソーラン節
- よされ節
参考文献
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- 川嶋康男『聞きがたり 北の大衆芸』みやま書房、1980年
- 川嶋康男『北の昭和放浪芸』太陽、1979年
- ^ 「東 けんじ(アズマ ケンジ)とは?」コトバンク
- ^ 義経公園内の顕彰碑による。
- ^ 「アイヌ民族における神送りの研究 : 沙流川流域を中心に」国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 松前ピリカとは
- 2 松前ピリカの概要
- 松前ピリカのページへのリンク