庁南町 交通

庁南町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 09:42 UTC 版)

交通

道路

江戸方面と大多喜・勝浦方面を結ぶ房総中往還(大多喜往還)が通り[19][8]、長南は継立場として栄えた町である。茂原町と道路(現在の国道409号の前身となる道筋)が接続していたほか、長南宿の南では、上総一宮方面に向かう道も分岐していた[8]。房総中往還には棒坂[8]などの名で呼ばれる難所もあったが、明治時代には改修工事が行われ、新道(現在の千葉県道147号長柄大多喜線[20])が開通した。

明治初期、短期間ながら当地を支配した鶴舞藩は、長南と新城下鶴舞との間(奥野と深沢の間)が通行困難な山道であったために隧道を開削し、道路(現在の千葉県道171号加茂長南線にあたる道筋)を開通させた[13][21]

鉄道

茂原-長南近辺の概略図。赤線は庁南茂原間人車軌道、緑線は南総鉄道、黒線は外房線。

明治後期、茂原町と庁南町の間を結ぶ人車軌道庁南茂原間人車軌道」が敷設される。庁南町付近で生産されていた叺筵や米の輸送が主目的であったとされ、旅客輸送も行った。1909年(明治42年)の開業時は茂原と台向(現在の長南交差点付近)の区間であったが、1913年(大正2年)には地蔵町(現在の長南町役場北側付近)まで貨物輸輸送路線を延伸した[22]。しかし、1921年(大正10年)に庁南町でも乗合自動車が運行されるなど、自動車交通が台頭する中で1926年(大正15年)に廃止された[22]

大正中期にはすでに人車軌道が時代遅れであるとの認識が現れており、これに代わる蒸気鉄道の敷設計画も持ち上がっていた[22]茂原から長南を経由して鶴舞町に至る免許を取得した「南総鉄道」が、1930年(昭和5年)に茂原-笠森寺間で開業。町域には長南元宿駅、長南駅、上総蔵持駅といった駅が置かれた。しかし南総鉄道は経営不振のために1939年(昭和14年)に廃止された。

バス

1917年(大正6年)に創立された小湊鉄道はバス路線を運営し、長南もその路線の一部に組み込まれた[23](1932年(昭和7年)頃には、長南-千葉、長南-茂原を結ぶ路線があった[23])。

南総鉄道は自動車部門を持ち、鉄道部門の廃止後も「笠森自動車」として運営を続けたが、1944年(昭和19年)、戦時統合により小湊鉄道に統合された[24](『続長柄町史』によれば、袖ケ浦自動車会社(小湊鉄道傘下)に買収されたのち1944年に小湊バスに統合とある[25])。1944年、笠森にあった南総鉄道本社跡に「小湊バス茂原営業所笠森車庫」が置かれたが[23]、1971年に「長南車庫」に移転している(小湊鉄道長南営業所も参照)。


注釈

  1. ^ 長南町のサイトなどでは「一条院宮」とあるが、『千葉県の歴史 通史編』では「一乗院宮」としているためこれに従う[10]
  2. ^ 「〇〇宿」は「〇〇町」「〇〇村」同様の尾称である[9]。明治初年の上総国には、市原郡八幡宿(町村制施行時に八幡町、現在の市原市)、周淮郡鹿野山宿(町村制施行時に秋元村、現在の君津市)、山辺郡大網宿(町村制施行時に大網町、現在の大網白里市)および上埴生郡長南宿の4宿があった[9]
  3. ^ 太鼓森は庁南城の主郭部と考えられ、「長南城跡太鼓森」として町指定史跡になっている[8]。1889年(明治22年)の『上総国町村誌』にも、太鼓森は武田氏が城主だったころに軍鼓を掛けたところ、という説明が記されているが、日本武尊については言及がない[6]

出典

  1. ^ a b c d e 小沢治郎左衛門 1889, p. 10.
  2. ^ 小沢治郎左衛門 1889, p. 8.
  3. ^ a b c 小沢治郎左衛門 1889, p. 12.
  4. ^ 「長南郡(中世)」『角川日本地名大辞典(旧地名編)』(JLogos収録)
  5. ^ 「長北郡(中世)」『角川日本地名大辞典(旧地名編)』(JLogos収録)
  6. ^ a b c d 小沢治郎左衛門 1889, p. 9.
  7. ^ a b 庁南氏”. 世界大百科事典 第2版. 2021年9月21日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j 文化財・記念物”. 長南町. 2021年9月22日閲覧。
  9. ^ a b c d 中島義一 1969, p. 227.
  10. ^ a b 千葉県の歴史.通史編 近世 2 目次”. 2021年9月22日閲覧。
  11. ^ 房総知県事”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  12. ^ a b c 風間俊人 (2006-12). “ちょうなん歴史夜話 井上藩仮本営跡”. 広報ちょうなん (長南町) (353): 7. http://150.60.131.50/wp-content/uploads/2011/08/0612.pdf 2021年9月22日閲覧。. 
  13. ^ a b c 鶴舞御本営の造営”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  14. ^ 鶴舞藩”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  15. ^ a b 『明治22年千葉県町村分合資料 十二』, 35-36コマ.
  16. ^ a b 『明治22年千葉県町村分合資料 十二』, 36コマ.
  17. ^ 藻原寺”. 日蓮宗千葉県西部宗務所. 2021年9月22日閲覧。
  18. ^ 小沢治郎左衛門 1889, p. 13.
  19. ^ 房総東浜往還(ひがしはまおうかん)と中往還”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  20. ^ 平沼義之 (2018年3月8日). “隧道レポート 針ヶ谷坂の明治隧道捜索 机上調査編”. 山さ行かねが. 2021年9月23日閲覧。
  21. ^ 石川村助請(じょせい)”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  22. ^ a b c 奥山秀範 2010, p. 12.
  23. ^ a b c 小湊バス”. 続長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  24. ^ 奥山秀範 2010, p. 14.
  25. ^ 南総鉄道”. 続長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  26. ^ 渡辺辰五郎 わたなべ たつごろう(1844〜1907)”. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2021年9月23日閲覧。


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