尊常法親王 尊常法親王の概要

尊常法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/11 09:17 UTC 版)

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誕生直後の文政元年8月に光格天皇勸修寺婧子の養子となる。文政5年(1822年)8月、一乗院門跡である尊誠法親王[3]の後継者に選ばれて、天保3年(1832年)5月2日に親王宣下、同年12月に出家したが、4年後に19歳で急死した。諡号は成智心院。

参考文献

  • 是澤恭三「尊常法親王」『日本人名大事典』第3巻、平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(1937年刊)の改題複製)。
  • 市古貞次『国書人名辞典 3』岩波書店、1996年。

  1. ^ ただし、文書上の表向きの公式は文化13年5月23日生まれ(是澤「尊常法親王『日本人名大事典』)。
  2. ^ ただし、文書上の表向きの公式は天保7年6月26日死去(「尊常親王」『国書人名辞典 3』)。
  3. ^ 貞敬親王の第四王子で尊常の実兄、同年6月に17歳で急逝(是澤「尊誠法親王『日本人名大事典』)。


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