宋端儀 宋端儀の概要

宋端儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 10:10 UTC 版)

生涯

1481年成化17年)、進士に及第し、礼部精膳司主事に任じられた。父母を相次いで失ったため、辞職して喪に服した。喪が明けると、礼部祠祭司主事に起用された。雲南で提学の官に欠員が出たため、礼部が端儀を配属させようと意見していたが、吏部が人事公表の前にこのことを漏らしていた。端儀は「人事が公表される前に、すでに人々の噂となっているとは。人はわたしが猟官したものだと言っているぞ」といって固辞した。ほどなく礼部主客司員外郎に進んだ。外国の貢使とたびたび面会したが、贈物を全て拒絶して受け取らなかった。

1495年弘治8年)、端儀は広東按察司提学僉事となった。1501年(弘治14年)7月甲子、在官のまま死去した。享年は55。著書に『立斎閑録』4巻・『祠部典故』4巻[1]・『宋行朝録』[2]・『革除録』[3]・『考亭淵源録』[4]・『莆陽人物備志』・『郷賢考証』[5]・『莆陽科名志』・『高科録』[6]・『莆陽逸事』[7]・『立斎稿』[8]があった。

参考文献

  • 『明史』巻161 列伝第49
  • 奉政大夫広東按察司提学僉事立斎宋君墓誌銘(黄仲昭『未軒文集』巻6所収)
  • 奉政大夫広東按察司提学僉事宋君立斎墓表(林俊『見素集』巻20所収)

  1. ^ 明史』芸文志二
  2. ^ 黄虞稷『千頃堂書目』巻5
  3. ^ 『千頃堂書目』巻5
  4. ^ 『千頃堂書目』巻11
  5. ^ 『千頃堂書目』巻10
  6. ^ 『千頃堂書目』巻9
  7. ^ 『千頃堂書目』巻7
  8. ^ 『千頃堂書目』巻20


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