マーカス・モートン 後年

マーカス・モートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 09:59 UTC 版)

後年

モートンは1843年に落選した後、州知事選挙に出馬することを止め、1844年にはジョージ・バンクロフトに任せた[57]。1844年9月、隣接するロードアイランド州に旅し、ドアの反乱の首謀者トマス・ウィルソン・ドアの釈放を訴えた。ドアは重労働刑を宣告されていた。ドアに対する民主党シンパは、その後の選挙でホイッグ党から攻撃材料として使われた[58]

マーティン・ヴァン・ビューレン、1849年頃にマシュー・ブレイディが制作したダゲレオタイプ写真

1845年、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ポークがモートンをボストン港の税徴収官に指名した。モートンはその職を4年間務めた。アメリカ合衆国上院におけるその指名の承認について幾らか議論となり、南部出身の上院議員が、モートンは以前に奴隷制度に反対する声明を出していたと言ってその指名に反対した。その指名が承認される前であっても、モートンはその政治的に重要な地位を使って、州の党員を自分の構想に合うように持ってくるようにしていたが、党組織の中に既にあった亀裂を広げただけに終わった。その分裂が、ヘンショー一派の政治的謀議のために確認が遅れる事態になり、モートンとバンクロフトの間の政治的関係を永久に分かつ結果になった[59]。1847年の辛辣な州党員集会(ヘンショー一派が奴隷制に反対する党の綱領を認めなかった)の後で、モートンは党から離れ、急成長していた自由土地党の運動に投じた[60]。モートンは民主党と自由土地党の連衡を支持することを拒み、1850年には州知事に民主党のジョージ・バウトウェルを、アメリカ合衆国上院議員に自由土地党のチャールズ・サムナーを選ぶことになった[61]

1848年アメリカ合衆国大統領選挙で、モートンはマーティン・ヴァン・ビューレンから自由土地党の推薦で副大統領候補となるよう誘われた。モートンはこれを断り、ニューヨーク州出身に候補者の組み合わせは地理的な懸隔を必要とすると述べた。ヴァン・ビューレンは最終的にウィスコンシン州出身のヘンリー・ドッジを選んだが、党大会ではマサチューセッツ州出身のチャールズ・フランシス・アダムズを選んだ。モートンはヴァン・ビューレンのために選挙運動を行ったが、ヴァン・ビューレンは3位に終わった[62]

モートンは1853年マサチューセッツ州憲法制定会議の代議員となり、1858年にはマサチューセッツ州下院議員に自由土地党から当選して1期を務めた[63][64]


  1. ^ a b c d Assonet Village Improvement Society, p. 157
  2. ^ a b Swackhamer, p. 384
  3. ^ Swackhamer, p. 385
  4. ^ Earle, p. 63; Earle incorrectly locates Chaddock in Rochester, New York. (Leonard, p. 82 establishes Chaddock's location.)
  5. ^ Earle, pp. 63–64
  6. ^ Emery, p. 62
  7. ^ a b c d Earle, p. 64
  8. ^ Swackhamer, p. 386
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  10. ^ a b c Swackhamer, p. 389
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  12. ^ a b Earle, p. 62
  13. ^ Earle, pp. 77–78
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  17. ^ Darling, pp. 45–47, 76
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  19. ^ Johnson, pp. 344–348
  20. ^ Levy, pp. 414–417
  21. ^ Levy, pp. 417–419
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  23. ^ a b Levy, p. 423
  24. ^ Darling, p. 98
  25. ^ Hart, p. 4:80
  26. ^ Darling, pp. 52–56
  27. ^ Darling, p. 83
  28. ^ Earle, p. 68
  29. ^ Swackhamer, p. 392
  30. ^ Formisano, p. 104
  31. ^ Darling, p. 104
  32. ^ Darling, pp. 95–98
  33. ^ Darling, pp. 99–102, 113
  34. ^ Darling, p. 101
  35. ^ Earle, pp. 69–70
  36. ^ Darling, pp. 110–118
  37. ^ Earle, pp. 72–73
  38. ^ Earle, pp. 73–74
  39. ^ Frothingham, pp. 106–108
  40. ^ MacAllister, pp. 201–203, 216–230
  41. ^ Handlin, pp. 160–166
  42. ^ Hart, p. 4:87
  43. ^ Hart, p. 4:86
  44. ^ Hart, pp. 4:88
  45. ^ Roe, p. 544
  46. ^ Frothingham, p. 153
  47. ^ Earle, p. 74
  48. ^ Handlin, p. 177
  49. ^ Holt, p. 82
  50. ^ Earle, p. 73
  51. ^ Hart, pp. 4:88–89
  52. ^ Earle, p. 75
  53. ^ Handlin, p. 186
  54. ^ Handlin, pp. 187–188
  55. ^ Handlin, p. 188
  56. ^ Hart, p. 4:93
  57. ^ a b Hart, p. 4:94
  58. ^ Handlin, pp. 194–196
  59. ^ Handlin, p. 203
  60. ^ Earle, p. 81
  61. ^ Hart, pp. 4:475–479
  62. ^ Earle, pp. 81–82
  63. ^ Larson, p. 955
  64. ^ a b Emery, p. 48
  65. ^ Viens, Kate (2000年9月29日). “City's hospital began as former governor's home”. The Taunton Gazette 





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