マルイチ (宮崎県) 概要 

マルイチ (宮崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 23:27 UTC 版)

概要 

創業者の高木一男が、太平洋戦争終戦後に日向市細島地区の株式会社江川商店に若番頭として勤務したが、1950年より、宮崎県椎葉村にて、日本初の大規模アーチダム「上椎葉ダム」の建設が始まったことから、椎葉村でのダム建設要員の野菜などの食材が不足し、これらを送り届ける事業を「髙木商店(現:マルイチ)」スタートさせた。同じく1951年ごろから、一男の妻の高木美津子は自宅の軒先にて近所の日向市立日知屋小学校日向市立富島中学校の通学路であったため、生徒向けに文具・学用品販売を始める。美津子は近所でも有名な料理上手であったため、お惣菜の販売を嘱望され、文具学用品と共に手作りのお惣菜も主婦向けに販売を開始した。

1955年の上椎葉ダムの完成後も一男は椎葉村などのエリアへの野菜などの卸売販売を続けていたが、夜間帰社中に車ごとダムへ転落し、自身も大怪我を負った。一男の治療中にも野菜の配達は必要であったため、大学へ進学予定の長男の高木亮輔が進学を断念し、家業を継ぐこととになった。

1957年に事故の治療中の一男が、新聞などでスーパーマーケットといわれる新しい小売業のスタイルが日本各地で成功していることを知り、高木商店をスーパーマーケットに業態転換することを決める。1957年に開店した「主婦の店 髙木商店」は、いわゆるグロサリーストアであり、生鮮食料品は野菜果物の青果物、そしてお惣菜を販売しながら、基礎調味料と文房具を販売するスタイルであった。

1962年宮崎県日向市江良町に食料品小売業マルイチストアを開店。青果の卸売販売を併合する。

1967年株式会社マルイチ現本店所在地住所に新店舗を建築し、江良店として発足。




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