ペリエ (ミネラルウォーター)
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ステークホルダー
1992年3月23日に両陣営は妥協を成立させた。骨子は以下。①アニェリ側がエクソール株のビッド価格を1320フランから1450フランに引き上げ、ネスレ・スエズがペリエ株のビッド価格を1475フランから1700フランに引き上げること。②エクソールとソジェンは保有するペリエ株を新価格でネスレに譲渡すること。③BSNがエクソールへの対抗ビッドを撤回し、アニェリ側がエクソールを完全買収し、ワイン事業と不動産事業を保有すること。ただし、BSNもエクソールのビッドに参加し、エクソールの51%を超える株式につき1/10をBSNが保有すること(支配比9:1)。④エクソールとソジェンは、サン・ルイに対し、ペリエ株取得にかかった費用15.3億フラン、その利子額、および提訴取り下げの合意代金2.1億フランを支払うこと。[3]
紛争の参加者はいずれも何らかの利益を手にしたが、3月25日ビッドは欧州委員会に停止されて審査に付された[3]。
サン・ルイはロスチャイルドの縁故ヴォルム(Worms & Cie)に36%支配されていた。IFILはヴォルムの7.4%、サン・ルイの6.4%、BSNの5.8%を支配していた。BSNはラザードが6%、クレディ・アグリコルが1.8%、預金供託金庫が5%支配していた。エクソールは公開買い付け前で、IFINTが39.8%、Corinne Mentzelopoulosが14.1%、クレディ・アグリコルが6%、預金供託金庫が5.5%支配していた。ペリエ買収をめぐる資本関係には大衆貯蓄機関も少なからず関わっていた。[3]
買収劇でアニェリ側の結束が乱れていたといわれている。アニェリグループは三方面で仏蘭西市場への投資活動を強化していた。まずフィアットがアルカテル・アルストムに6%参加していた。次にトリノのIFILがラザードやヴォルムと金融コネクションを編み上げていた。そしてルクセンブルクのIFINTはクラブメッドなどに参加していた。これら三方面のうちルクセンブルクのIFINTだけが、フランス市場へ参入するにあたり電撃戦で臨もうとしていた。[3]
注釈
出典
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