プリンセスルーニー 略歴

プリンセスルーニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 13:40 UTC 版)

略歴

1982年の2歳時は6戦6勝でフリゼットステークスを勝利。3歳時(1983年)はケンタッキーオークスなど6戦5勝。4歳時(1984年)は9戦6勝で、最終戦のブリーダーズカップディスタフは7馬身差の圧勝だった。同年にはエクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞した。

1985年繁殖牝馬となり、同年ダンジグの仔を受胎したままキーンランド・ノベンバーセールに上場されると550万ドルという史上3番目の高値でテキサス州のジョージ・オービンに売却された。しかし繁殖成績は振るわず、10年後にケンタッキー州レキシントンに近いジェントリー・ブラザーズ・ファームに13万ドルで転売されている。

1991年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たした。

2008年8月、プリンセスルーニーは馬原虫性脊髄脳炎 (EPM) を患っていることが発覚する。投薬治療が行われたが症状は改善せず、10月8日に繋養先のジェントリーブラザーズファームで安楽死処分が施された[1]

競走成績

血統表

プリンセスルーニー血統プリンスキロ系 / Nasrullah 4x4=12.50%、 Princequillo 4x5=9.38%、 Blue Larkspur 母内5x5=6.25%) (血統表の出典)

Verbatim
1965 黒鹿毛 アメリカ
父の父
Speak John
1958 鹿毛 アメリカ
Prince John Princequillo
Not Afraid
Nuit de Folies Tornado
Folle Nuit
父の母
Well Kept
1958 鹿毛 アメリカ
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bed o'Roses Preciptic
Pasquinade

Parrish Princess
1971 芦毛 アメリカ
Drone
1966 芦毛 アメリカ
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Cap and Bells Tom Fool
Ghazni
母の母
Puzzesca
1962 アメリカ
Law and Order Nasrullah
In Bloom
Refurbish Bold Venture
Renew F-No.1-x (1-s)

  1. ^ Champion Princess Rooney Dead Archived 2008年10月10日, at the Wayback Machine. - Bloodhorse.com (英語)


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