ニオベ (防護巡洋艦) 艦歴

ニオベ (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/11 06:35 UTC 版)

艦歴

A・G・ヴェーザー/社ブレーメン造船所にて1898年起工、1899年7月18日進水、1900年6月25日竣工。1906年から1909年の間ドイツ東洋艦隊に所属。第一次世界大戦時に老朽化のために沿岸哨戒任務に就く。同大戦後、ヴェルサイユ条約によりワイマール・ドイツ海軍(Reichsmarine)保有艦に指定されて解体を免れる。1925年に後継艦の「エムデン」就役に伴いドイツ海軍で除籍後、ユーゴスラビアに売却。

ユーゴスラビア海軍「ダルマチア(Dalmacija)」と改名後の6月25日に就役。、1926~27年にかけて砲術練習艦に改造して用いていた。

第二次世界大戦後の1941年4月17日にイタリア海軍が捕獲して「カッタロ(Cattaro)」と改名となった。イタリアでは砲艦に類別された[1]。「カッタロ」はポーラの砲術学校の船となり、また潜水艦や雷撃機のための標的艦ともなった[2]。1942年7月30日(31日[3])、Premantura付近でイギリス潜水艦「トラヴェラー」の雷撃を受けたが命中しなかった[4]。1943年5月、Karlobag付近のパルチザン陣地に対する砲撃に参加[4]

1943年9月8日のイタリアの降伏時はポーラで修理中であった「カッタロ」は9月11日ドイツ軍に接収された[4]。艦名の候補には「ツェンタ (Zenta)」や「Novarra」があげられたが、最終的に竣工時の艦名である「ニオベ」に戻されることとなった[4]クロアチア独立国の海軍へ譲渡されたとよく言われるが、ドイツがそのようなことをしようとしたことはない[5]

ツレス島ロシニ島のパルチザン掃討作戦支援のため、1943年11月13日に「カッタロ/ニオベ[6]」は水雷艇「TA21」とともにプーラより出撃[7]。ロシニ海峡を哨戒し、同日「カッタロ」は3隻の揚陸艇と共に帆船「Partizan III」とモーターボートをパルチザンのII POS Flotillaの指揮官などと共に捕らえた[8]。11月14日、「カッタロ」と「TA21」はプーラに帰投した[8]

12月18日、コルチュラ島上陸支援のため「ニオベ」は「TA20」、「TA22」とともにプーラより出撃[9]。しかし作戦は延期となり、「ニオベ」は「TA20」に護衛されて給炭のためトリエステへ向かったが、12月19日19時ごろにSilba島で座礁した[10]。「TA20」は「ニオベ」を離礁させることはできず、曳船などが現場へ派遣されて離礁が試みられた[11]。その様子はパルチザンやイギリスの連絡将校が見ており、その報告によりヴィス島から魚雷艇「MTB298」と「MTB226」が出撃した[12]。両艇は12月22日1時に現場に到着し、魚雷を発射[12]。魚雷2発が命中[13]した「ニオベ」は破壊された[12]。また、「ニオベ」の横に停泊していた曳船「Parenzo」(または「Parenco」[14][15])も被雷し沈没した[10]。「ニオベ」では17名が死亡し、16名が重傷を負った[10]

その後、「ニオベ」の残骸はパルチザンや現地の住民の物資取り場となり、また連合国軍やドイツ軍による攻撃も受けている[16]。1947年から1952年にかけて解体された[10]


  1. ^ Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 25
  2. ^ Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, pp. 25-26
  3. ^ HMS Traveller (N 48) of the Royal Navy - British Submarine of the T class - Allied Warships of WWII - uboat.net
  4. ^ a b c d Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 26
  5. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 151
  6. ^ この時の記録には「カッタロ」のままであるものと「ニオベ」となっているものが存在する
  7. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 208
  8. ^ a b Adriatic Naval War 1940-1945, p. 209
  9. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 221, Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 27
  10. ^ a b c d Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 27
  11. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 222, Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 27
  12. ^ a b c Adriatic Naval War 1940-1945, p. 237
  13. ^ War diary : German Naval Staff Operations Division, Part A, Vol. 52, December 1943, p. 258によれば2時5分被雷。
  14. ^ War diary : German Naval Staff Operations Division, Part A, Vol. 52, December 1943, p. 258
  15. ^ Lawrence Paterson, Hitler's Forgotten Flotillas: Kriegsmarine Security Forces, Seaforth Publishing, 2017, War in the Adriatic(In December the 11th~)
  16. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 238, Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 27


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