ドロ作戦 タンケラテンの戦闘

ドロ作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/01 06:23 UTC 版)

タンケラテンの戦闘

経過

3月6日、マリ=フランス連合軍はガオの東100kmとイメナス(Imenas)の北東に位置するタンケラテン・ワジ(Tin Keraten)にてイスラム武装勢力と交戦する。マリ軍部隊はタンケラテン付近に到着したところ、イスラム過激派によって攻撃される。フランス軍は増援として戦闘機やティーガー攻撃ヘリコプターとガゼル戦闘ヘリコプターは派遣し、その後地上部隊を到着させる[13]

損失

マリ=フランス側について、マリ軍は4人の負傷者を出し、フランス軍では第68アフリカ砲兵連隊所属のヴィルフリード・パングー陸軍砲兵伍長(brigadier-chef Wilfried Pingaud)が瀕死の重傷を負い、ベルギー軍のアグスタ A109救急・救難ヘリコプターでガオの医療拠点まで搬送されるが、数時間後手当の甲斐なく死亡する[13][14]

MUJAO側について、フランス軍参謀本部の発表ではイスラム戦闘員10人が「制圧」されたと推定される[13]

ジュボックの戦闘

経過

3月12日から17日にかけて、フランス兵460人からなる第2統合戦闘群はドロ3号作戦に投入される。統合戦闘群は2個の統合戦闘隊(SGTIA)に分割される。工兵・砲兵・航空機グループ(GAM)はジュボック(Djebok)北東30kmにあるゴラム(Goram)に進出する。この時点で、第2統合戦闘群とイスラム戦闘員との間で短距離および標準射程内で銃撃戦やなどの障害で交戦を繰り広げる。GAMのヘリコプターやカエサル砲兵システム、VBCI装輪歩兵戦闘車による戦闘加入によりイスラム戦闘員を撃退する[1][6]

損失

フランス軍参謀本部によると約15人のイスラム戦闘員を無力化しピックアップトラック8台を破壊し、いくつかの地雷やIEDも破壊する。テウルテリス村(Teurtelis)やテミュイ村(Temuy)、ゼコーアン村(Zekouan)内にてPKM機関銃や14.5mm機関銃2丁をはじめとする多数の軍用品を発見し鹵獲している[1][6]

3月17日夜から18日未明にかけて、ガオ市北方にていくつかの爆発音が確認された。その後、フランス軍偵察部隊によって122mmロケット弾発射筒4基が破壊される[6]




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