タイダルウェーブ作戦 作戦計画

タイダルウェーブ作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 03:17 UTC 版)

作戦計画

プロイェシュティの位置

1943年3月、合衆国陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルドは、プロイェシュティ油田爆撃作戦の計画立案をその幕僚のヤコブ・スマート (Jacob E. Smart大佐に指示した[3]。策定された作戦計画は、超低空飛行により標的の油田、製油施設を爆撃するというものであった[5]。また、これに使用する爆撃機は超低空での運動性、航続距離及び爆弾搭載量に優れた B-24 が選定された[6]。1943年5月のワシントンにおけるルーズベルトとチャーチルの会談でイギリス空軍の参加も提案されたが、イギリス空軍機と混成では整備、補給で問題があるとして合衆国陸軍航空軍単独での実施となった[6]。当初作戦名は「ソープサッズ(石鹸の泡)作戦」であったが、チャーチルの発案で変更することとなり、6月30日「タイダルウェーブ(津波)作戦」と命名された[7]

作戦参加部隊には北アフリカの第9航空軍から第98及び第376爆撃航空群 (376th Bombardment Groupが選定され、さらにイギリス本土の第8航空軍から第44、第93 (93d Operations Group及び第389爆撃航空群が加えられた[8]。これらイギリス本土からの3個爆撃航空群は6月下旬にベンガジへ到着した[8]

飛行経路の往路は、ベンガジ近郊の飛行場群を発進し、北東方向のリビア領トクラから地中海を北上してケルキラ島(コルフ島)で北東に進み、ギリシャアルバニア国境のピンドス山脈を越えてユーゴスラビア南部からルーマニアへ侵入し、ワラキア平原へ出て、ピテシュティ付近から高度 30m の超低空飛行でプロイェシュティとカンピーナ (Câmpina(第389爆撃航空群が割り当てられた目標)へ向かい、復路はほぼその逆をたどる経路が設定された[8]

プロイェシュティ付近の精油所の位置

作戦参加部隊に割り当てられた爆撃目標は次のとおりだった[8]

  • 第376爆撃航空群 ロマーナ・アメリカーナ (Româno-Americană) 精油所
  • 第93爆撃航空群 コンコルディア・ヴェガ (Concordia Vega) 精油所及びユニリア・スペランツァ (Unirea Speranța)、スタンダード・ペトロール (Standard Petrol) 複合精油所
  • 第98爆撃航空群 アストロ・ロマーナ (Astra Română)、オリオン (Orion) 複合精油所
  • 第44爆撃航空群 コロンビア・アキラ (Columbia Aquila) 精油所及びクレディトル・ミニアー (Creditul Minier) 精油所
  • 第389爆撃航空群 カンピーナのステアウア・ロマーナ (Steaua Româna) 精油所

第389爆撃航空群以外の4個群は、プロイェシュティの北西方向から南東方向へ抜ける経路で目標に対し爆撃を行う経路であった[9]

第9航空軍幕僚長兼第9爆撃兵団長のウザル・エント准将が指揮官となり、作戦部隊の先頭を飛ぶ第376爆撃航空群の指揮官機に搭乗することとなった[10]


注釈

  1. ^ ミッチャム (2008)、p.478 では、参加機数を177機としている。ベッカー (1974)、p.426 では、178機としている。
  2. ^ ドイツの 1/3 とイタリアの全需要をまかなった[1]
  3. ^ 連合爆撃攻勢作戦計画中の優先目標リストで、主目標の一つとして石油生産・燃料精製工業が挙げられ、プロイェシュティについては地中海方面からの攻撃とされた[4]
  4. ^ ミッチャム (2008)、p.478 では、枢軸国空軍による迎撃について往路、目標地域上空及び復路でギリシャに配備された第27戦闘航空団第4飛行隊(IV/JG27)、ルーマニアの第4戦闘航空団第1飛行隊(I/JG4)及びブルガリア戦闘機連隊の攻撃を受けたとしている。ベッカー (1974)、p.426 では、復路で第4戦闘航空団第1連隊(第1飛行隊と同義)、第27戦闘航空団第4連隊(第4飛行隊)の一部及びルーマニア戦闘機に加え、第6夜戦航空団(夜戦戦闘航空団)第4連隊(第4飛行隊)のBf110数機が追撃し、一部を海上で捕捉したとしている。
  5. ^ ミッチャム (2008)、p.478 では、43機が撃墜され、13機が不時着等で喪失、50機以上が損傷を受けたとしている。ベッカー (1974)、p.426 では撃墜機数を48機としている。

出典

  1. ^ a b c 白石 (2009)、p.86
  2. ^ 白石 (2009)、pp.86-87.
  3. ^ a b c d e f 白石 (2009)、p.87
  4. ^ マーレイ (2008)、p.293
  5. ^ 白石 (2009)、pp.87-88.
  6. ^ a b 白石 (2009)、p.88
  7. ^ 白石 (2009)、pp.88-89.
  8. ^ a b c d 白石 (2009)、p.89
  9. ^ a b c d e 白石 (2009)、p.92
  10. ^ 白石 (2009)、p.90
  11. ^ a b 白石 (2009)、p.91
  12. ^ a b 白石 (2009)、pp.91-92.
  13. ^ 白石 (2009)、pp.92-93.
  14. ^ a b c d e f 白石 (2009)、p.93
  15. ^ ミッチャム (2008)、p.478






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