ソー・ピム 家族

ソー・ピム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 16:03 UTC 版)

家族

妻はジェイ・カロウで、ソー・ピムとの間に5人の子をもうけた[74]。勝気な性格で、派手な夫婦喧嘩もするが、夫婦仲は悪くなかったという[75]。多くの東部地域幹部とは打ち解けた気安い仲であり、しかし指導的な役職には就かなかった[76]

娘の1人は、北西部地域書記ムオル・サンバットの息子の Khnang (別名、Kriel または Chiel)と結婚していた[76]

1978年6月、ソー・ピムのプノンペン行きに妻と2人の娘が同行し、ピムの自殺後は近くの寺に隠れていたが、逮捕され連行された[63]。あるいはまた、ピムの遺体を埋葬しようとしていたところを捕まり虐殺されたとも伝えられる[46]

参考文献

  • 井上恭介、藤下超 『なぜ同胞を殺したのか-ポル・ポト 堕ちたユートピアの夢』 日本放送出版協会、2001年。ISBN 9784140806326
  • 清野真巳子 『禁じられた稲-カンボジア現代史紀行』 連合出版、2001年。ISBN 9784897721736
  • 山田寛 『ポル・ポト<革命>史-虐殺と破壊の四年間』 講談社<講談社選書メチエ305>、2004年。ISBN 978-4062583053
  • フィリップ・ショート 『ポル・ポト-ある悪夢の歴史』 白水社、2008年。ISBN 9784560026274
  • ナヤン・チャンダ 『ブラザー・エネミー-サイゴン陥落後のインドシナ』 めこん、1999年。ISBN 9784839601324
  • デーヴィッド・チャンドラー 『ポル・ポト 死の監獄S21-クメール・ルージュと大量虐殺』 白揚社、2002年。ISBN 9784826990332
  • スティーブ・ヘダー、ブライアン・D・ティットモア 『カンボジア大虐殺は裁けるか-クメール・ルージュ国際法廷への道』 現代人文社、2005年。ISBN 9784877982652
  • David Chandler, So Phim, Online Encyclopedia of Mass Violence, [online], published on 3 February 2008, accessed 8 September 2013, URL : http://www.massviolence.org/So-Phim, ISSN 1961-9898
  • Kiernan, Ben (2008), The Pol Pot Regime: Race, Power, and Genocide in Cambodia under the Khmer Rouge, 1975-79 (Third ed.), New Haven and London: Yale University Press, ISBN 9780300144345 .

  1. ^ マオ・ポクとソー・ピムは双方の祖母が姉妹で、同じ郡出身。清野(2001年)、158ページ。
  2. ^ a b Kiernan (2008), p.xx.
  3. ^ ヘダー・ティットモア(2005年)、86ページ注119。
  4. ^ 清野(2001年)、131ページ。
  5. ^ 清野(2001年)、131-132ページ。
  6. ^ a b c 清野(2001年)、132ページ。
  7. ^ ショート(2008年)、86ページ。
  8. ^ http://www.massviolence.org/So-Phim
  9. ^ ショート(2008年)、173ページ。
  10. ^ 別資料では、委員会は4人とされている。http://www.massviolence.org/So-Phim
  11. ^ a b チャンダ(1999年)、418ページ。
  12. ^ 山田(2004年)、116ページ。
  13. ^ ショート(2008年)、180-181ページ。
  14. ^ ショート(2008年)、201ページ。
  15. ^ Chandrer (2008)
  16. ^ a b 山田(2004年)、28ページ。
  17. ^ 別資料では、党中央委員会常任委員候補に選出され、序列第5位とされる。ショート(2008年)、206ページ。
  18. ^ ショート(2008年)、210ページ。
  19. ^ 山田(2004年)、29ページ、129ページ。
  20. ^ 軍事委員会はポル・ポト(委員長)、ヌオン・チア、ソー・ピム、タ・モク、ソン・センで構成されていたが、ピムとモクは名ばかりであった。ヘダー・ティットモア(2005年)、96ページ、98ページ。
  21. ^ ヘダー・ティットモア(2005年)、96ページ。
  22. ^ ヘダー・ティットモア(2005年)、104ページ注194。
  23. ^ a b Kiernan (2008), p.326.
  24. ^ 山田(2004年)、114-115ページ。
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  26. ^ Kiernan (2008), p.328.
  27. ^ 山田(2004年)、116ページ。
  28. ^ チャンドラー(2002年)、120ページ。
  29. ^ Kiernan (2008), p.324.
  30. ^ チャンドラー(2002年)、120-121ページ。
  31. ^ チャンドラー(2002年)、121-122ページ。
  32. ^ 第21地区副書記ウッチ・ブン・チューンの証言。山田(2004年)、130ページ。
  33. ^ a b c 山田(2004年)、130ページ。
  34. ^ Kiernan (2008), p.369.
  35. ^ チャンダ(1999年)、357ページ。
  36. ^ チャンダ(1999年)、347-348ページ。
  37. ^ チャンダ(1999年)、356-357ページ。
  38. ^ チャンダ(1999年)、357ページ。
  39. ^ a b c d e f g ショート(2008年)、583ページ。
  40. ^ チャンドラー(2002年)、153ページ。
  41. ^ チャンドラー(2002年)、153-154ページ。
  42. ^ 山田(2004年)、131ページ。
  43. ^ a b チャンダ(1999年)、419ページ。
  44. ^ a b チャンダ(1999年)、420ページ。
  45. ^ 元S-21所長ドッチの証言による。同書の別頁では秘密会議の時期を「1978年前半」とも記されている。ヘダー・ティットモア(2005年)、113ページ、143ページ。
  46. ^ a b c d 山田(2004年)、132ページ。
  47. ^ ショート(2008年)、583-584ページ。
  48. ^ チャンダ(1999年)、422ページ。
  49. ^ 清野(2001年)、156ページ。
  50. ^ a b 清野(2001年)、162ページ。
  51. ^ 清野(2001年)、155-156ページ。
  52. ^ 清野(2001年)、161-164ページ。
  53. ^ チャンダ(1999年)、422-423ページ。
  54. ^ チャンダ(1999年)、423ページ。
  55. ^ チャンダ(1999年)、423-424ページ。
  56. ^ 清野(2001年)、136ページ。
  57. ^ a b 清野(2001年)、137ページ。
  58. ^ a b c d チャンダ(1999年)、421ページ。
  59. ^ 清野(2001年)、137-138ページ。
  60. ^ ショート(2008年)、584ページ。
  61. ^ a b c d 井上・藤下(2001年)、183ページ。
  62. ^ 別資料によれば、ある軍関係者に宛てた手紙だったとされる。清野(2001年)、138ページ。
  63. ^ a b c 清野(2001年)、138ページ。
  64. ^ 別資料によれば、海軍の兵士が自動小銃を乱射したとされる。井上・藤下(2001年)、183ページ。
  65. ^ 別資料によれば、6月2日に二隻のフェリーボートに分乗したポル・ポト兵の”歓迎の一行”が来たのを見て、その意味を悟り、ソー・ピムはピストルを胸に撃ちこんだとされる。チャンダ(1999年)、421-422ページ。
  66. ^ 清野(2001年)、138-139ページ。
  67. ^ 清野(2001年)、139ページ。
  68. ^ 清野(2001年)、139-140ページ。
  69. ^ 別資料によれば、ソー・ピムは6月3日、プノンペンの対岸の村で自殺したとされる。山田(2004年)、132ページ。
  70. ^ 清野(2001年)、140ページ。
  71. ^ 清野(2001年)、129ページ。
  72. ^ a b ショート(2008年)、264ページ。
  73. ^ 清野(2001年)、133ページ。
  74. ^ 清野(2001年)、130ページ。
  75. ^ 清野(2001年)、130-131ページ。
  76. ^ a b Kiernan (2008), p.90.


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