オランダ黄金時代の絵画 肖像画

オランダ黄金時代の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:50 UTC 版)

肖像画

フランス・ハルス剣を持ってポーズをとるウィレム・ファン・ヘイトゥイセン』(1625-1630年頃) アルテ・ピナコテーク モデルは富裕な織物商人、ハルスが描いた唯一の等身大肖像画注文主[19]ウィレム・ファン・ヘイトゥイセンの肖像』(1634年) 私室での乗馬服姿を描いた小品(9in×15in)[20]
ソフィア・トリプ』(1615-1679) バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト (1645年) 個人オランダ富裕階級の妻を描いた肖像画[注釈 5]

他国より肖像画を依頼する大商人階級がいたため、肖像画ビジネスは17世紀のオランダで繁盛した。ざっと見積もって75万枚から110万枚に達する巨大な市場だった[23]。レンブラントは、若い肖像画家として経済的成功をおさめたが、やがて他の画家と同様に一般市民からの受注生産に飽き飽きしてきた。カレル・ヴァン・マンデルは「芸術家は喜びなしでこの道沿いに旅をする」と述べている[24]

オランダの肖像画は、17世紀ヨーロッパの他地域で流行した貴族的なバロックの肖像画の勢いの良さと過剰なレトリックを避けていたが、男性のそして多くの場合女性モデルの陰鬱な盛装と、カルヴァン主義では小道具・持ち物や眺めの良い風景を画中に含めるのは高慢の罪を示すという感覚のせいで、技術の質にもかかわらず多くの肖像画が似たり寄ったりになるのは否定できない。等身大の立姿でさえ虚栄を示す可能性があるため通常は避けられた。ポーズは特に女性の場合控え目に、子供はもっと自由が許された。昔から肖像画は婚礼時に新郎新婦を別々に一対の絵になるように描かせる。レンブラントの後期の肖像画は、性格描写力、そして時には物語的な要素によって強制されるが、初期の肖像画でニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈された部屋一杯の「レンブラントの創出」のせいで気が滅入ることがある。

この時代のもう一人の偉大な肖像画家はフランス・ハルスで、その生き生きとした筆致と、リラックスして陽気に見えるモデルを示す画力は、どんな被写体でも興奮させる。ウィレム・ファン・ヘイトゥイセンの肖像画の極めて「さりげないポーズ」は例外的で「この時期の肖像画でこれほどくだけたものは他にない」[25]。ヤン・デ・ブレイ(Jan de Bray)は古典史に登場する人物の衣装を着てポーズをとるようモデルに勧めたが、彼の作品の多くは彼自身の家族のものである。トマス・デ・ケイセル(Thomas de Keyser)、バルトロメウス・ファン・デル・ヘルストフェルディナント・ボルなど、歴史画家や風俗画家として多くの画家は、より伝統的な作品を盛り上げるために最善を尽くした。肖像画は他のタイプの絵画よりも流行の影響を受けにくく、オランダの芸術家にとって安全な代替手段であり続けた。

オランダ人画家の工房での作業手順は殆ど伝わっていない。ヨーロッパの他の国々と同様に、まず最初にモデルの顔から描かれたのではないかと考えられる。モデルが画家の前でポーズをとっていた平均時間もはっきりしていない。記録に残っているのは0分(レンブラントの等身大作品)から50分程度となっている。モデル着用の衣装はそのまま工房に残され、弟子あるいは衣装専門の画家が招かれて描き上げた。着衣の描写は肖像画の中でも非常に重要な部分と見なされていた[26]。女性が既婚か未婚かは衣服で区別がつく。家族の集合肖像画をのぞき、独身女性は殆ど描かれていない[27]。実際には様々な縞模様・織柄模様の布地が着用されていたが、余分な作業として省かれ画家が描き込むことは殆どなかったが、略せないレースやひだ飾り襟の表現は写実的な画力が披露された。レンブラントはレースをより効果的に表現する手法を編み出した。まず幅広に白色絵具を塗りつけてからやや黒い絵具を軽くのせてレースの柄を表現する方法。もう一つは、黒のベタ塗りに白のベタを重ね、絵筆の柄の先端で白絵具を削り取りレース模様を表現する方法である[28]

ホーラント宮廷参事官ヴィレム・ファン・ケルクホーフェン(1607-1681)と妻レインスブルフ(レイミリック)・デ・ヨング(1609-1679)とその15人の子供たち』ヤン・マイテンス (1652年、1655年加筆) ハーグ歴史博物館

17世紀末には、イングランドでアンソニー・ヴァン・ダイクが1630年代に始めた「絵のように美しい」「ローマ風」と呼ばれる華麗な衣装をモデルに着せて描く肖像画が流行した[29]。貴族や軍人階級は一般市民よりも豪奢な衣装を纏い広々とした設定で描かれ、宗教的帰属もおそらくは多くの絵画に影響を与えた。17世紀末には貴族的あるいはフランス的な価値観が一般市民に広まり、肖像画は更に自由に発展した。

夜警』レンブラント (1634年) アムステルダム国立美術館

オランダで発展した集団肖像画ドイツ語版も自警団、評議会、ギルド理事など多くの市民団体から人気があった[30]。17世紀前半までは肖像画は極めて儀礼的なもので、集団肖像画ではモデルがテーブルのまわりに着席し、全員が正面を向いているような構図が多かった。衣服など詳細な表現が重要視され、社会的地位に応じた描きわけが必要とされた。17世紀後半になると集団肖像画はより自由で、明るい色彩で描かれるようになっていった。自警団を描いた集団肖像画の多くがハールレムとアムステルダムで描かれた。もっとも有名な集団肖像画はレンブラントの通称『夜警』(1642年)アムステルダム国立美術館所蔵である。アムステルダムで描かれた集団肖像画のほとんどは最後まで注文主だった団体が所有しており、それらの肖像画の多くが現在アムステルダム歴史博物館の所蔵となっている。


注釈

  1. ^ 1702年がオランダ黄金時代の終焉だとする説がある:Slive はオランダ黄金時代を1600年 - 1675年と1675年 - 1800年に分けて著述している[1]
  2. ^ 日本で「オランダ絵画」と呼称される絵画は、この時代に描かれたものをさすことが一般的である。
  3. ^ 現存しているのはそのうちの1%程度で、価値ある絵画は10%程度だった(Lloyd, 15)
  4. ^ MacLaren によると、ヤン・ステーンは宿屋を経営し、アルベルト・カイプは裕福な家庭から妻を迎えたため経済的な心配はなかった。一方カレル・デュジャルディンは画家として生計を立てるのを諦めたとされる
  5. ^ ソフィアの父Elias Trip(VOC取締役)の2人目の妻である母Alithea Adriaensdochter、妹マリア・トリップ(1619-1683)[21]をレンブラントが肖像画に描いている[22]
  6. ^ クラースは光の反射の表現にすぐれていたことで有名だった。
  7. ^ 娼婦を買うためのコインであり、この絵画が売春宿の情景であることを意味している。

出典

  1. ^ Slive, 296, 294, 32
  2. ^ Fuchs, 104
  3. ^ Franits, 217 and ff. on 1672 and its effects.
  4. ^ Prak, 241
  5. ^ Lloyd, 97
  6. ^ a b Fuchs, 43
  7. ^ Franits' book is largely organized by city and by period; Slive by subject categories
  8. ^ Fuchs, 76
  9. ^ See Slive, 296-7 and elsewhere
  10. ^ Fuchs,107
  11. ^ Fuchs, 62, R.H. Wilenski, Dutch Painting, "Prologue" pp. 27-43, 1945, Faber, London
  12. ^ Fuchs, 62-3
  13. ^ Slive, 13-14
  14. ^ Fuchs, 62-69
  15. ^ Franits, 65. Catholic 17th century Dutch artists included Abraham Bloemaert and Gerard van Honthorst from Utrecht, and Jan Steen, Paulus Bor, Jacob van Velsen, plus Johannes Vermeer who probably converted at his marriage. Jacob Jordaens was among Flemish Protestant artists.
  16. ^ Slive, 22-4
  17. ^ Fuchs, 69-77
  18. ^ Fuchs, 77-78
  19. ^ Ekkart, 130 and 114.
  20. ^ "Sold in july 2008 by Sotheby's for 8,8 milj. euro".
  21. ^ 歴史家Isabella Henriette van Eeghenのレンブラント研究がBalthasar Coymansの妻の肖像画であるとした(1956年)。
  22. ^ トリプ家系図
  23. ^ Ekkart, 17 n.1 (on p. 228).
  24. ^ Shawe-Taylor, 22-23, 32-33 on portraits, quotation from 33
  25. ^ Ekkart, 118
  26. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 68-69
  27. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 66-68
  28. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 69-71
  29. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 72-73
  30. ^ BS朝日 - 世界の名画 ~美の迷宮への旅~”. archives.bs-asahi.co.jp. 2024年1月14日閲覧。
  31. ^ Fuchs, 42 and Slive, 123
  32. ^ Franits, 1, mentioning costume in works by the Utrecht Caravagggisti, and architectural settings, as especially prone to abandon accurate depiction.
  33. ^ Franits, 4-6 summarizes the debate, for which Svetlana Alpers' The Art of Describing (1983) is an important work (though see Slive's terse comment on p. 344). See also Franits, 20-21 on paintings being understood differently by contemporary individuals, and his p.24
  34. ^ On Diderot's Art Criticism. Mira Friedman.p. 36
  35. ^ Fuchs, 39-42, analyses two comparable scenes by Steen and Dou, and p. 46.
  36. ^ Franits, 24-27
  37. ^ Franits, 34-43. Presumably these are intended to imply houses abandoned by Catholic gentry who had fled south in the Eighty Years War. His self-portrait shows him, equally implausibly, working in just such a setting.
  38. ^ Fuchs, 80
  39. ^ Franits, 164-6.
  40. ^ MacLaren, 227
  41. ^ Franits, 152-6. Schama, 455-460 discusses the general preoccupation with maidservants, "the most dangerous women of all" (p. 455). See also Franits, 118-119 and 166 on servants.
  42. ^ Slive, 189 – the study is by H.-U. Beck (1991)
  43. ^ Slive, 190 (quote), 195-202
  44. ^ Derived from works by Allart van Everdingen who, unlike Ruysdael, had visited Norway, in 1644. Slive, 203
  45. ^ a b Slive, 225
  46. ^ Rembrandt owned seven Seghers; after a recent fire only 11 are now thought to survive – how many of Rembrandt's remain is unclear.
  47. ^ Slive, 268-273
  48. ^ Slive, 273-6
  49. ^ Slive, 213-216
  50. ^ Slive, 279-281. Fuchs, 109
  51. ^ Fuchs, 113-6
  52. ^ and only a few others, see Slive, 128, 320-321 and index, and Schama, 414. The outstanding woman artist of the age was Judith Leyster. Other female artists are described here
  53. ^ Fuchs, 111-112. Slive, 279-281, also covering unseasonal and recurring blooms.
  54. ^ Slive, 212
  55. ^ See Reitlinger, 11-15, 23-4, and passim, and listings for individual artists
  56. ^ See Reitlinger, 483-4, and passim
  57. ^ Slive, 319
  58. ^ Slive, 191-2
  59. ^ Slive, 144 (Vermeer), 41-2 (Hals), 173 (Steen)
  60. ^ Slive, 158-160 (coin quote), and Fuchs, 147-8, who uses the title Brothel Scene. Franits, 146-7, citing Alison Kettering, says there is "deliberate vagueness" as to the subject, and still uses the title Paternal Admonition.
  61. ^ Reitlinger, I, 11-15. Quote p.13





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