アル・カポネ スカーフェイス

アル・カポネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 00:52 UTC 版)

スカーフェイス

ハーヴァード・インで働いていた10代の頃、ある夜アルは店に来た若い女性客に卑猥な言葉を使った。すると、女性の兄のフランク・ガルチョが怒ってアルを殴り、更にナイフで左頬と首筋を切りつけ、店から逃げた。

この後、アルがガルチョを探しだして報復しようとしたが、このことを聞いたガルチョは知り合いを通じ、サルヴァトーレ・ルカーニア(後のラッキー・ルチアーノ)に仲裁を頼み、アル、ルカニーア、ガルチョ、そしてイェールは話し合いの場を持った。その結果、ガルチョの妹を侮辱したアルがガルチョに謝罪することになった[注 2]

後年、大物になったアルはガルチョに報復する事はせず、そればかりか週給100ドルで使い走りに雇ったという。

この事件で顔に傷がついたことでアルには「スカーフェイス(疵面)」という異名がついた。しかし本人はこの呼び名を嫌っていたため、本人の前でそう呼ぶ者はいなかった。

シセロ・トリビューン紙

1920年代にロバート・セント・ジョンというジャーナリストはシセロ・トリビューンという新聞でカポネ一味の悪影響を糾弾し、暴露していた。そのため、ラルフ・カポネが部下を使いセント・ジョンを暴行した。アルはそのことを謝り、金で解決しようとした。しかし、セント・ジョンは金を受け取らなかった。そのため、アルは新聞社の出資者に圧力をかけ、新聞社の権利を買い取ることにした。その後、セント・ジョンは新聞社を去った。

マクスウィギン事件

1926年4月27日、カポネ組の構成員が敵のオドンネル兄弟と間違えてウィリアム・H・マクスウィギンという若い検事を殺害してしまう殺人事件が発生した。そのためアル・カポネは指名手配された。300人の刑事が3ヶ月捜査してもアル・カポネは見つからなかったので、世間ではアル・カポネはカナダイタリアへ逃亡したのではないかという噂が流れた。しかし、実はアルはミシガン州ランシングに身を隠し、友人のアンジェロ・マストロピエトロの協力を得て、安楽な逃亡生活を送っていた。

ランシングでのアルは暴力や殺人はなかったが、それでも警戒してジャック・マクガーンフランク・ニティの2人の部下を呼んだ。アルはランシング郊外のラウンド・レイクの湖の周辺を散歩したり、ひと泳ぎしたり、ときには湖に遊びに来た子供たちの相手をした。ランシングに住むイタリア系の人々はアルの潜伏に手を貸していた。この頃ランシングの人たちはブラック・ハンドの残党やパープル・ギャングの犠牲になっていた。アルはそういった連中に「ランシングの人たちに手を出すなら、このアル・カポネが相手になる」と言うと、彼らは手を引いたという。貧しい家庭には生活費や学費を出したり、子供たちを連れてアイスクリームを買いにいったり、こうしてアルはこの街で人気者になった。

3ヶ月間ランシングで過ごした後、アルはシカゴへ戻った。1926年7月29日、アルはシカゴ刑事裁判所に出頭した。

警察などが事件を調べていくうちに、この「マクスウィギン殺人事件」は起るべくして起った事故ということになった。なぜなら、マクスウィギンはアイルランド系のギャングスターと付き合いがあり、禁酒法に違反してもぐり酒場にも頻繁に出入りし、とても検事とは思えない行動をとっていたためであった。アルに対しても、3ヶ月間行方をくらましている間に市民の怒りはおさまっており、捜査でも事件について法的に立証できず、アルは自由の身になった。

恩師イェール暗殺

1928年、この頃のアルはフランキー・イェールとの闇酒取引はうまくいっていなかった。イェールは酒を運ぶトラックの強奪が増え続けていると言っていた。このことについてアルはイェール本人を疑っていた。この輸送ルートはカポネ組の大きな収入源(この頃アルの年収は推定で1億ドルを超えていた)の一つだった。

この真相を詳しく知るために、アルは友人のジェームズ・デ・アマートをブルックリンに送りイェールの監視を頼むが、アマートはやがて何者かに殺された。そしてイェールの闇酒取引の不正が疑いから確信に変わり、アルはジェイク・グージックらと暗殺を計画する。

アルはマクガーン、アルバート・アンセルミ、ジョン・スカリーゼ、フレッド<キラー>バーグの部下を使い、1928年7月1日に暗殺を実行する。その年の夏の終わりに、イェール暗殺の仕返しと思われる事件があった。アルの友人でウニオーネ・シチリオーネの会長のアントニオ・ロンバルドが暗殺され、そのあとを継いだパスカリーノ・ロロルドも暗殺された。


注釈

  1. ^ 「カポネ」は日本語での表記であり、イタリア語の音声表記([kaˈpoːne])は「カポーネ」、英語の音素表記(/ˈkəˈpoʊn/[1])は「カポウン(カポーン)」が近い。
  2. ^ 資料によってはルチアーノではなくジョー・マッセリアとするものもある。

出典

  1. ^ the definition of al capone”. Dictionary.com. 25 3 2020閲覧。
  2. ^ Al Capone Bio 2023年10月2日閲覧
  3. ^ J. Torrio 2023年10月2日閲覧
  4. ^ Capone foes 2023年10月7日閲覧
  5. ^ 「トーリオ一家vs.オドンネル一家 禁酒法下のシカゴで「ビール大戦争」 24歳の”代貸”アル・カポネ売り出す!」『日録20世紀』第1巻第28号、1997年9月9日、38-40頁、CRID 1130282269046488704 
  6. ^ 「欲望という名の音楽」 二階堂尚 p.206. 草思社
  7. ^ 「犯罪王カポネ禁固11年」『読売新聞』、1931年10月26日、夕刊、2面。
  8. ^ 「カポネの上告棄却/アメリカ」『読売新聞』、1932年5月4日、夕刊、2面。
  9. ^ マフィアグッズ専門店”. 2021年4月8日閲覧。
  10. ^ 2015年 公演ラインアップ【シアター・ドラマシティ、東京特別】<5月~6月・雪組『アル・カポネ ―スカーフェイスに秘められた真実―』>”. 宝塚歌劇団 (2014年11月20日). 2014年11月20日閲覧。
  11. ^ 「第23回読売演劇大賞」上半期ベスト5が発表に”. シアターガイド (2015年7月28日). 2015年7月30日閲覧。





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