アルバニア王国 (近代) 経済

アルバニア王国 (近代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 03:26 UTC 版)

経済

ゾグ1世による統治下のアルバニアの11年は、国家的で大規模な近代化が推し進められた。その結果それまでバルカン半島において最小の経済規模であったにもかかわらず最大の発達した国へ成長した。世界恐慌によるストライキ等で一時期経済は不況に陥ったが、1930年代末において再び経済は繁栄を取り戻した。しかしその繁栄も1939年のイタリア軍の侵攻と1944年から始まる共産主義政権の支配によりすぐさま終焉を迎える。 数年間の枢軸国の支配による混乱で再びアルバニアはバルカン最貧の国となり、貧しい小作農がアルバニアの人口の大部分を占めるようになる。 アルバニアは実質的に産業が皆無になり、未開発の資源とされていた水力発電も当分は開発されそうになく、石油が輸出される資源の多くを占めていた。石油の他、アルバニアはビチューメン亜炭クロマイトボーキサイトマンガン等の資源を産出し、シュコドラ県にセメント工場、コルチャ県にビール工場、ドゥラス県とシュコドラ県には地元のタバコ草を原料とするタバコ工場など小規模な産業のみがあった。
アルバニアが輸出していたのは毛皮、チーズ、家畜と卵で輸入品は穀物等の食料、鉄製品、機械類だった。1939年にはアルバニアの輸入の割合は輸出のそれの4倍にもなった。そして輸出される物の7割はイタリアへ行き、イタリアの工業製品はアルバニアの輸入の40%を占めており、経済はイタリアに依存していた。戦間期においてはアルバニア国内の技術職はイタリア人が多くを占めた。数年の混乱を通じてアルバニアは再び教育・社会的にバルカンで一番貧弱になってしまい、街に住むのは人口のわずか13%で、 無学者が人口の高い割合を占めるようになった。90%の小作農は貧しく、木製の鋤等を使うような原始的な、最低限度の食料生産しか行えなかった。 そして多くの地主達の農園はマラリアのはびこる沿岸や湿地にあった。アルバニアには銀行、鉄道、近代的な港、機能的な軍隊、大学、近代的なマスコミが不足し、ヨーロッパで最も高い出生率と乳幼児死亡率で、そして男性の平均寿命は38歳だった。







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