はけ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 06:45 UTC 版)
はけ(またはハッケ、バケ、バッケ、ハゲ等)は、丘陵・山地の片岸[1][2]、すなわち崖地形を指す地形名である。特定の場所を指す地名として固有名詞化している例も多く[2]、とくに武蔵野地域に多いとされる[3]。一方標準語において不特定の崖を「はけ」と呼ぶことは稀で、普通名詞としては「方言または古語」などとして扱われる。
注釈
- ^ ただし全てが完全に同じ意味というわけではない。たとえば「岨」は、川や湖等の水面に面してそびえる崖にのみ使われる語彙である。
- ^ 現在の盛岡市厨川(くりやがわ)。
- ^ 人名と推定される。一説に「郎」の書き落としとも。
- ^ a b 盛岡市雫石町八卦に比定し、「家」の字を補って「八卦の家」などとも訳されるが、柳田は「この頃の武家が諸処のハケを求めてこれを住宅としたと仮定すれば、その邸を直接に波気と呼んだと見ても不自然ではない」としている[5]。なお、雫石町八卦は南方を流れる雫石川に沿う河岸段丘上の地域であり、すぐ南で高さ10〜15mほどの崖を見下ろす形になっている。
- ^ 「景勝ポイントが8つある」ことによる命名とされているが、具体的な地点や名称については諸説あり判然としない。地形としては歴然たる崖線地形であり、元来「黒岩ハッケ」と呼ばれていたとしても何ら不思議ではない。
- ^ a b c やむを得ず「◆」で代用したが、漢字1字(山へんに爪)である。この字はUnicode上に定義のない稀少国字であり、PCやスマホでは画像以外の方法で表示することができない。
- ^ なお、同地にあるバス停は表記が「赫下」となっている。
- ^ また、やや上中里駅寄りには 大字中里字峡下 / 東峡上 / 西峡上 もあった。
- ^ 柳田は「峡上」として言及しているが、当時の地形図によれば「波毛」である。
- ^ もちろん同時期に両方の呼称で呼ばれていた保証はない。したがって「片方の名が廃れてのちもう一方の名が使われるようになった」といった可能性はある。
- ^ なお、区域内に架かる跨道橋は字体の異なる「岲橋」(はけばし)である。
- ^ 伝承によれば八景物にちなんだ命名とされている[14]が、「っ」の脱落や「水谷」という用字・読みは不自然。東京の「八景坂」同様、後づけで意味を求めたいわゆる民間語源の一種とみられる。今尾恵介によればこの「ハケ」は「崖下の湧水地」の意という[6]。
出典
- ^ 『広辞苑 第七版』「はけ」岩波書店。
- ^ a b 『精選版 日本国語大辞典』「はけ」小学館。
- ^ 山口、139ページ。
- ^ デジタル大辞泉『岨』 - コトバンク、2012年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 柳田 303ページ(地名考説 42 八景坂)
- ^ a b c 今尾、61ページ。
- ^ 「「ハケ」は、「ガケ」ではない。まして「崖線」ではない」 コレジオ、2023年1月9日閲覧。
- ^ 小金井市史Ⅴ、19ページ。
- ^ 田中、160ページ。
- ^ 『縄文語の発掘』[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g h 稀少地名漢字リスト「埼玉県」、2013年1月13日閲覧。
- ^ 稀少地名漢字リスト「東京都」。
- ^ a b このまちアーカイブス「神奈川県 相模原」 三井住友トラスト不動産、2013年1月21日閲覧。
- ^ 八景水谷公園 2022年12月27日閲覧。
- ^ まろん通信「小金井は縄文遺跡が多く有名です」 小金井市観光まちおこし協会、2023年1月16日閲覧。
- ^ a b こども府中はかせ12「府中の道」 府中市立図書館、2022年12月29日閲覧。
- ^ 「フィールドミュージアムガイド 赤塚公園」 赤塚公園サービスセンター、2023年1月29日閲覧。
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