US F1との交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 00:05 UTC 版)
「ステファンGP」の記事における「US F1との交渉」の解説
しかし、正式な参戦権が未だに与えられていなかったため、2月中旬頃より他チームとの合併による参戦権獲得を画策し始める。その結果、開幕から4戦の欠場許可を申請するほど資金難が深刻化していたUS F1が交渉ターゲットに浮上した。この背景にはFIA側のUS F1に対する解決策が模索されていた事もあった。合併交渉の協力者として、US F1側の投資家でもあるYoutube創設者チャド・ハーリーの協力下によって交渉が行われたが、結局はこの交渉は2月25日に決裂した。 その後もUS F1チームの参戦が危ぶまれていたため、同チームが自主的ないし強制的に参戦取り消しになることを想定し、US F1が所持していた参戦権がステファンGP側に何らかの形で譲渡されることを期待した。しかし、3月3日に発表された最終エントリーリストにステファンGPの名はなく、2010年参戦の夢はかなわなかった。FIAの公表見解では「USF1チームは、2010年FIA F1 世界選手権に参戦できる立場にないことを示した。FIAは様々な選択肢を検討し、このような遅い段階で代替チームをチャンピオンシップに参戦させることはできないことを認める」とし、US F1からの参戦権返還からステファンGPの参戦申請承諾までのプロセスがあまりにも短すぎて実質不可能であると説明した。参戦計画の為に支援を行っていたトヨタとの提携も正式に終了した。 その後も、ステファンGPは参戦計画を諦めず、参戦権ごとUS F1を買収することに合意したと伝えられた。しかし、FIAはUS F1の参戦権自体が無効化されたとの見解を示した。4月にはUS F1が事実上活動停止し、この計画も消滅した。
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