SSCの崩壊とチャツモ国の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:40 UTC 版)
「HBM-SSC」の記事における「SSCの崩壊とチャツモ国の成立」の解説
2011年6月初め、ソマリランド・プレスは「ソマリア暫定連邦政府がSSC民兵を武装させてソマリランドとプントランドの紛争を引き起こしている」と報道している。 2011年6月20日、ソマリランド警察はラス・アノド警察署襲撃の容疑で10人を逮捕した。逮捕された人物はSSC民兵と関係があるとされている。 2011年6月26日、ウィドウィドでAbdirisak Hassan IsmailがSSC代表として、停戦合意に署名した。しかし翌27日にも地元民兵によりソマリランド軍基地が攻撃され、SSCのリーダーはSSC地域からソマリランド軍が撤退するまで戦闘を続けることを表明。これは、HBM-SSCの分裂と見られる。 2011年7月の国際連合安全保障理事会の報告書では「SSC軍はデュルバハンテディアスポラが資金提供している、日和見主義(opportunistic)で傭兵的な民兵組織で、平和と安定を脅かす脅威」と説明されている。 2011年9月、HBM-SSCがファラー・ガラド主体の組織となってしまい、また、当初の目的を達成できないと考えられたことにより、デュルバハンテの知識人からなる代表団がスール地域、サナーグ地域、アイン地域のデュルバハンテ氏族居住地域を回り:99、2012年1月にタレーでチャツモ国というHBM-SSCとは別の組織を作ることが決議され:102、SSC運動は事実上活動停止した。活動停止時期は明確ではないが、2011年としている文献が存在する。ただし、その後も組織的ではないものの、「SSC派の民兵」の活動は続いた。 2012年1月のUNPOの報告には「SSC民兵はイスラーム過激組織アル・シャバブとの関係がある残忍な過激派」と記載されている。 2012年2月7日、ソマリランド軍がブーホードレへの攻撃を開始した。1月までの戦闘で80人以上が死亡しており、この2月の攻撃で少なくとも3人が死亡した。 2012年6月、HBM-SSCの大統領であるサレバン・ハグロトシエは、ドバイでソマリランド大統領のシランヨと会談し、民兵を武装解除させて武器をソマリランド政府に引き渡し、ソマリランドが公共サービスを提供することで合意した。
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