PRD発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 04:27 UTC 版)
「民主革命党 (メキシコ)」の記事における「PRD発足」の解説
1989年5月にFDNは左翼系諸党派の選挙連合的な色彩を脱却し、単一政党である民主革命党(PRD)を発足させた(PMSも合流)。ところがその後党勢は低迷、1991年の下院選で大敗北、1994年の大統領選挙でも前回を大幅に下回る17%の得票率で惨敗する。その背景にはPRIが新たに実施した社会福祉政策や公共事業政策が一部のPRD支持者をPRIに引き戻した経緯がある。 その後党勢は再び上昇に転じ、1997年には下院選挙で500議席中125議席を獲得、同時に行われた第1回のメキシコ・シティ市長選挙(それまで首都メキシコ・シティの市長は任命制だった)でクアウテモク・カルデナスが得票率47%を獲得して当選するが、2000年の大統領選挙と下院選では再び後退した(この選挙で70年続いたPRIの一党支配体制が崩れ、右派野党PANのビセンテ・フォックスが大統領に当選する)。しかし、同時に行われたメキシコ市長選では、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(名前が長すぎるため、通称AMLOと表記される)が当選し、引き続きPRD市政が継続する。また、ミチョアカン州でラザロ・カルデナス(ラサロ・カルデナスの孫)が州知事となっている。2003年の下院選では大きく議席を伸ばした。また2004年7月の州知事選挙ではサカテカス州でアマリア・ガルシア候補(旧・メキシコ共産党出身)が当選、メキシコ史上初の左翼系女性知事となった。
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