2012年-2015年: デンバー・ブロンコス
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「ペイトン・マニング」の記事における「2012年-2015年: デンバー・ブロンコス」の解説
2012年3月7日、コルツから解雇された。コルツを退団したマニングには、デンバー・ブロンコス、ワシントン・レッドスキンズ、テネシー・タイタンズ、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ、マイアミ・ドルフィンズ、シアトル・シーホークスが興味を持った。3月20日、デンバー・ブロンコスと推定5年、年俸総額9600万ドルで契約。1年あたりの年俸総額ではNFLトップとなった。なおマニングがコルツで使用してきた背番号18はブロンコスではフランク・トリプカの永久欠番であったが、チームおよびトリプカが快諾し、18を継続して使用することになった。 この復帰シーズンでは、9月9日のピッツバーグ・スティーラーズとの開幕戦でパス26回中19回成功、253ヤード、2TDの活躍で31-19と逆転勝利した。最終週のカンザスシティ・チーフス戦ではパス29回中23回成功、304ヤード、3TDで38-3と勝利、チームは最後の11試合で連勝し、13勝3敗、AFC第1シードでシーズンを終えた。この年マニングはパス4,659ヤード、37TD、11INT、QBレイティング105.8と怪我の影響を完全に払拭する抜群の成績をあげてカムバック賞に選ばれた。ボルチモア・レイブンズとのディビジョナルプレーオフでは、パス43回中28回成功、290ヤード、3TD、2INT、1ファンブルロストで、オーバータイムでのインターセプトが相手の決勝FGにつながり敗れた。 2013年9月5日のボルチモア・レイブンズとの開幕戦でパス42回中27回成功、462ヤード、NFLタイ記録となる7TDパス、インターセプト0の活躍を見せた。1試合7TDパスは、ミネソタ・バイキングスのジョー・カップが1969年9月28日に記録して以来44年ぶりの出来事で、史上6人目の快挙であった。第16週のヒューストン・テキサンズ戦で4TDをあげて、シーズン51TDパスのNFL記録を作った。 2014年9月8日、古巣のコルツに勝利し、ブレット・ファーヴに次いで史上2人目となる、全32チームからの勝利を達成した。 2016年2月7日、第50回スーパーボウルでNFC代表のカロライナ・パンサーズに24-10で勝利。この勝利で史上初めて2つの異なるチームで頂点に立った先発QBとなった。 3月7日、現役を引退し、18年のキャリアに終止符を打つと発表した。最後の言葉は、「私は果敢に戦ってきました。18年経過後、フットボールレースを終えます。あなたにご加護あれ、フットボールに神のご加護あれ」であった。3月18日、インディアナポリス・コルツはマニングがコルツ時代に14年間着用していた18番を永久欠番とし、ルーカス・オイル・スタジアムにマニングの銅像を建てることを発表した。
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