1999年以降のセルビア人の政府
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「コソボ・メトヒヤ自治州 (1990年-1999年)」の記事における「1999年以降のセルビア人の政府」の解説
1999年以降、コソボにおいてセルビア人が住む一部地域では、プリシュティナにおかれたアルバニア人の支配する政府から事実上独立している。彼らはセルビアの国旗や国章を使い続け、セルビア本国の選挙にも参加している(それ以外のコソボではセルビアの選挙はボイコットされている)。彼らはコソボの選挙をボイコットしている。アルバニク / レポサヴィチ、ズヴェチャニ / ズヴェチャン、ズビン・ポトクの各自治体はセルビア人が支配しており、ミトロヴィツァ / コソヴスカ・ミトロヴィツァには対立するアルバニア人とセルビア人それぞれの政府が2002年11月まで並存した。 セルビア人地域は、2003年2月にコソヴスカ・ミトロヴィツァのセルビア人委員によって創設された「コソボ・メトヒヤのセルビア人地域連合」によって統合され、ミトロヴィツァは彼らの事実上の「首都」となっている。連合の大統領にはドラガン・ヴェリッチ(Dragan Velić)が就任した。ミトロヴィツァにはまた、セルビア人による中央政府機関「コソボ・メトヒヤ・セルビア国家議会」が設置されている。コソボ北部におけるこの議会の議長にはミラン・イヴァノヴィッチ(Milan Ivanović)が就任し、行政委員会の首班はラダ・トライコヴィッチ(Rada Trajković)となった。 地元の政治で主導権を握るのはコソボ・メトヒヤのセルビア人リスト(en)である。同党を率いるのはオリヴェル・イヴァノヴィッチ(Oliver Ivanović)である。 2007年2月、コソボ・メトヒヤのセルビア人地域連合は「コソボ・メトヒヤ・セルビア人議会」へと改組された。この議会は、アルバニア人が支配するコソボ中央の議会を分離主義者として非難し、コソボのセルビア人の統一、EULEXコソボのボイコット、セルビアのコソボにおける主権を支持するための大規模な抗議行動を求めた。2008年2月18日、コソボの独立宣言の翌日、セルビア人議会はコソボ独立を「無効であり無価値」と宣言した。 セルビア中央政府にも「コソボ・メトヒヤ省」が置かれている。2007年から2012年までは「コソボ・メトヒヤ大臣」というポストが置かれたが、その後廃止されている。
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