1917年以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/29 04:06 UTC 版)
「志自岐 (給油艦)」の記事における「1917年以降」の解説
冬期は天候、雄物川の水深、氷結などにより土崎での重油積み込みは難しいため、翌1917年(大正6年)1月まで修理などを行い、2月には佐世保、馬公間の軍需品輸送、3月も鎮海へ測量艇7隻など軍需品の輸送を行った。 3月末に土崎、新潟からの重油輸送に戻り、新潟から佐世保へ2,710トン、土崎から佐世保へ2,998トン、横須賀ヘ3,037トン、呉へ3,080トンの重油を輸送した。 この年の4月に日本海軍はボルネオ島産の重油60,000トンを同年6月から21カ月間で購入することを決定し、本船はその輸送に当たることになった。第1回目は6月20日佐世保出港、ミリで重油3,243トンを搭載し7月19日佐世保に帰港した。 以降は1918年(大正7年)8月に国内の輸送を行った以外、ほとんどボルネオからの石油輸入を行った。
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