1898年 ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道法
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「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事における「1898年 ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道法」の解説
1897年11月26日、国会議員ジェームス・ヒース(英語版)が、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道のウォータールーから東南に伸びる支線と、マリルボン・ロード付近から東に分岐する支線をもつ別会社、ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道の個別的法律案を議会に提出した。 ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道の南側の路線は、ウォータールー駅西側のベルヴェディア・ロードの下でベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の路線から分岐してメインラインの下を東に進み、ウォータールー・イースト駅付近に設置を計画していた駅まで向かい、ウォータールー・ロードの下をセント・ジョージズ・サーカス(英語版)、ロンドン・ロード(英語版)を通ってエレファント・アンド・カッスル(英語版)に達し、その後ニュー・ケント・ロード(英語版)とオールド・ケント・ロード(英語版)に沿ってロンドン・ブライト・アンド・サウス・コースト鉄道(英語版)のオールド・ケント・ロード駅(英語版)(1917年廃止)まで至り、セント・ジョージズ・サーカス、シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道の駅及びロンドン・チャタム・アンド・ドーバー鉄道の駅との接続駅となるエレファント・アンド・カッスル、ニュー・ケント・ロードとマントン・ロードの交差点、ニュー・ケント・ロードとオールド・ケント・ロードの分岐点、オールド・ケント・ロードとミナ・ロード、ボウルズ・ロード、コマーシャル・ロード(後のコマーシャル・ウェイ)との各交差点に駅を設ける計画となっていた。オールド・ケント・ロード南側のグランド・サレー・カナル(英語版)(埋め立てられて現存しない)をセント・ジェームス・ロードが超える地点に発電所を設け、燃料をグランド・サレー・カナル経由で輸送し、運河から取水する予定とされた。ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道のトンネルはベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道のウォータールー車庫と接続することで、両方向に列車を運転できるよう計画された。 ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道のもう一つの路線はベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道からパーク・クレセントの下で分岐するものとされていた。この路線はベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道から分岐した後、東にリージェンツ・パーク、ロングフォード・ストリートとドラモンド・ストリート(英語版)の下を進み、ユーストン駅の下、セイモア・ストリート(後のエヴァーショルト・ストリート)の西に設ける駅を終点とし、途中、ドラモンド・ストリートとハムステッド・ロードの交差点に駅を設ける計画だった。 この路線案は議会に提出されたものの、1898年の会期中には審議が進まずに廃案となり、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道がユーストン支線の別案を1899年の議会審議に提出している。
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