黄宗羲とは? わかりやすく解説

こう‐そうぎ〔クワウ‐〕【黄宗羲】

読み方:こうそうぎ

[1610〜1695]中国明末・清初思想家歴史学者余姚(よよう)(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は太沖(たいちゅう)。号、南洲先生とよばれた。「明儒学案」を著して実証主義的な清朝史学の礎を築き、「明夷待訪録(めいいたいほうろく)」では為政者批判進歩的な政治主張展開した


黄宗羲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 04:39 UTC 版)

黄 宗羲(こう そうぎ、万暦38年8月8日1610年9月24日) - 康熙34年7月3日1695年8月12日))は、中国明末清初儒学者は「太沖」。号は「南雷」・「梨洲」。紹興府餘姚県の出身。明の滅亡に際して反清運動に参加するが後に故郷に隠棲して学術に没頭、陽明学右派の立場から実証的な思想を説き、考証学の祖と称された。




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