麻績王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/12 19:47 UTC 版)
麻績王(おみのおう、生没年不詳)は、7世紀末の皇族。麻続王、麻積王とも称される。
- ^ 当時、志摩国は成立しておらず、東海道は伊勢国(志摩国)から三河国と海路で通じていた。そのため、志摩半島から渥美半島の海上にあった島々は全て伊勢国に属して対岸の伊良湖岬にちなんで「伊良虜の島」と呼ばれていたと考えられている(門井直哉「文学にみる七・八世紀の交通」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P34-36)。
- ^ 麻績王の皇女が、忌部子人の子弟に降嫁しており、忌部子人のとりなしによって、遠流にならずに伊勢神宮のある伊勢国流罪に決まったとする説もある。
- ^ 壬申の乱で、大友皇子側についた事が原因で流罪に処されたとする説もある。
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