鵜殿氏との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:56 UTC 版)
なお、五井松平家の第2代・松平元心の次男・忠定は深溝松平家初代となったが、五井家も深溝家もその根拠地はともに現在の蒲郡市域およびその近隣の地に所在しており、三河国宝飯郡西郡(にしごおり、蒲郡市に含まれる旧地名)一帯の国人領主にして、今川氏の家臣でもあった鵜殿氏(上郷・下郷・柏原等)支配地の近隣でもあった。その鵜殿氏と松平氏には姻戚関係等の関連性が認められる(下記の略系図2 を参照のこと)。すなわち、深溝松平忠定の孫・伊忠は上郷(神郷)城主・鵜殿長持の次女を室に迎えた。また、下郷鵜殿氏(蒲形城主)の鵜殿長存の孫(または曾孫)にあたる鵜殿康孝(長信)は八郎三郎と称し、深溝の伊忠の次女を室に迎えている。
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