デンセンマン
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デンセンマン(電線マン)は、1970年代にNET(現・テレビ朝日)系列で放送されていたバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』ならびにその派生番組に登場したキャラクター。スーツアクターは森昌行[1][信頼性要検証]と秋山武史。声は堀勝之祐が担当。
注釈
- ^ 本人口上「遥かニューギニアの」を「パプアニューギニアの」と誤認されることが多い[2]。
- ^ 伊東はこの頃、『電線音頭』を見た仲間から、本当に頭がおかしくなったのではないかと心配され、仲間にそう思われるくらいなら成功だと感じたという[3]
- ^ 伊東は、新聞の取材に対し「当人がなんでウケたんだか、さっぱりわかんない。コミックソング、ナンセンスソングを通り越して、狂気ソングだね。世の中、一人くらい変人がいたっていいってことかな。」と、同曲についてコメントしている[5]。
出典
- ^ 2016年9月10日放送、文化放送『親父熱愛』にて伊東四朗が森昌行であると語っている
- ^ a b c d e 「デンセンマン 人の迷惑かえりみず!!27年ぶりにやってきました」『宇宙船』Vol.106(2003年5月号)、朝日ソノラマ、2003年5月1日、31頁、雑誌コード:01843-05。
- ^ 山藤章二『対談「笑い」の混沌』(講談社文庫版)講談社、1991年、132-133頁。ISBN 406-185082-2。
- ^ a b 『サンデー毎日』1977年4月17日号、145頁。
- ^ 「"オイソガ氏"再登場 '77こんな一年でした : なぜウケたのかなあ?」、読売新聞1977年12月31日付朝刊(東京本社版)、17頁
- ^ デンセンマン デンセン音頭 2015年バージョン - YouTube
- ^ “"のぼせもんブログ"小松くん3連写&復活!電線音頭♪”. ドラマスタッフブログ|植木等とのぼせもん. NHK (2017年10月14日). 2020年2月6日閲覧。
- ^ 伊東四朗 - NHK人物録
- 1 デンセンマンとは
- 2 デンセンマンの概要
- 3 電線音頭
- 4 レコード・CD
- 5 脚注
電線マン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:41 UTC 版)
1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名での活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや「電線音頭」でのベンジャミン伊東、『笑って!笑って!!60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。小松と2人で生み出したギャグがいくつもあるが、正月によく流れる琴による演奏の『春の海』を口で表現する「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん。ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」は伊東の発案である[要出典]。 「ずん」や「ニン」、「どーかひとつ」といったギャグも有名になった。特にベンジャミンとしてのスタイルは、藤田まことら古くからのコメディアン仲間から「あいつはバカになったのか!?」と驚嘆されるほどのインパクトがあり、小林信彦からは大いに絶賛された。それまで「てんぷくトリオ」のサブ的役割であった伊東が、にわかに芸能界で存在感を示し始め、1979年にはTBS『ザ・チャンス!』の二代目司会者に起用された。 「ベンジャミン伊東」のキャラクター案は、伊東が自身の威圧的な顔にコンプレックスを持っていたため、「怖い顔でも面白い人はいないのか?」と考えた時に「サーカスの団長」が思い浮かんだことが発端となっている。
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