隠れ家生活へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:35 UTC 版)
同年7月5日には長女マルゴーに対してユダヤ人移民センターに出頭するよう召喚状が届いた。召喚後にはヴェステルボルク通過収容所からドイツの強制労働収容所へ移送されることになっていた。 帰宅後オットーはただちに隠れ家生活に入ることを決意し、ファン・ペルス家や隠れ家支援メンバーと連絡を取り、アンネたちにも家を出て隠れ家に入ることを告げた。この時フランク家には下宿人がいたので、その人物(ちなみに彼もユダヤ人で、その後収容所送りになるが、生還した)に気取られぬように皆どたばたしたり、声を荒らげたりしないよう気を使ったという。翌日朝6時にミープが自転車に乗って駆け付け、まず自転車を持っていたマルゴーが彼女と一緒に隠れ家へ向かった。ついで朝7時半にはオットー、エーディト、アンネも家を出た。なお義母ローザは1942年1月29日に癌により死去していた。オットーは下宿人に宛ててアンネの飼い猫モールチェをお願いする旨を書き残し、また下宿人の目に付くようにスイスへ逃れることをほのめかした手紙も置き残した。 2週間後、この隠れ家にファン・ペルス一家(ヘルマン、アウグステ、ペーター)が加わり、11月にはフリッツ・プフェファーが加わった。この隠れ家生活はヨハンネス・クレイマン、およびミープ・ヒース、ヴィクトール・クーフレル、ベップ・フォスキュイルに支えられていた。
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