隔週交代枠としての開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:25 UTC 版)
「三菱ダイヤモンド・アワー」の記事における「隔週交代枠としての開始」の解説
同枠は、当初はウォルト・ディズニーが司会を務めるアメリカ制作のバラエティ番組『ディズニーランド』と『日本プロレス中継(当初は「テレビ生中継・プロレスリング国際大試合」)』を1週おきに入れ替える隔週交代形式で編成されていた。なおこれ以前にも1957年に土曜日で放送していた「プロレスファイトメンアワー」にも、三菱電機は協賛スポンサーに就任しているが、この経緯は「日本プロレス・テレビ中継概史の創世記」の項目を参照。 日テレは当初、『日本プロレス中継』を不定期の特番から毎週放送の定時番組にする計画を持っていたが、協賛社の三菱電機が『ディズニーランド』の放送を強く要望。そのため、双方の番組を隔週で放送するという体裁を採った。この状態は1968年2月16日まで続いた。ただし、日テレは1961年8月25日以後、『ディズニーランド』の放送がある週の金曜日に、22時台の45分枠で別枠の『日本プロレス中継』を開始した。時間枠こそ異なるものの、実質的に毎週金曜日のプロレス中継が定番化することになった。 1960年代にはカラー放送が始められたが、1962年に行われたフレッド・ブラッシーの試合で対戦相手が噛み付き口撃の犠牲で流血する事件があり、それを見ていた視聴者若干名(2名、4名など諸説あり)が死亡する痛ましい事件があったことから、一時期カラー放送を中断していたことがある。
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