関戸の戦い
関戸の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 16:41 UTC 版)
1333年(元弘3年)5月15日、新田義貞が足利尊氏と鎌倉幕府倒幕の際に分倍河原の戦いで勝利し翌日、5月16日には多摩川を越え、この関所一帯で北条泰家(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の弟)が防衛戦を行った(関戸の戦い)。関所跡の周辺には北条泰家の家臣である横溝八郎、安保入道父子の墓と伝えられる塚や無縁仏(無名戦士の墓)が残っている。 現在でも観音寺(多摩市関戸)では毎月16日に戦いで亡くなった兵士のために供養を行っている。
※この「関戸の戦い」の解説は、「霞ノ関」の解説の一部です。
「関戸の戦い」を含む「霞ノ関」の記事については、「霞ノ関」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 関戸の戦いのページへのリンク