開発経緯と設計思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 15:44 UTC 版)
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によりヴァイマル共和国陸軍では狙撃銃の装備とその訓練が禁止されていたが、軍部自身もこれまでの狙撃銃を時代遅れの産物として認識し、その時点で在庫していたものを払い下げする有様だった。 そのような状況を背景として、ZF41は軍による初めての制式小銃用光学照準眼鏡として開発されている。その開発契機は、1939年のポーランド戦後の前線指揮官からの要望として光学照準眼鏡付き小銃の供給増があったこととする主張があるが、陸軍兵器局の長官を務めたエミール・レープ砲兵大将は戦後の記述で、開戦前の1938年に既に開発命令があったことを述べている。その中で彼は、兵器局が4倍率の照準眼鏡を提案したにも関わらず、ナチス党の人脈により1.5倍率のもの(後のZF41)の採用が決定されたとして不満を表明している。 このように意見の相違もあったようで、具体的な経緯詳細は不明なところがあるが、開戦直前のドイツ国防軍においては電撃戦(機動戦)という新しい戦術に向けて装備を大きく整えており、その中で小銃用照準眼鏡もかつての塹壕から狙い撃つような防御的用途ではなく、攻撃部隊の一役を担うことで新たな役割を見い出されたものと考えられる。つまり、ZF41は精密照準用ではなく、より迅速に的確な照準を行うための補助具として開発され、通常歩兵の射撃優秀者に支給することによって前進する歩兵部隊の攻撃力をさらに向上することを意図したものであった。
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