長野県の諏訪湖底曽根遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:17 UTC 版)
「地震考古学」の記事における「長野県の諏訪湖底曽根遺跡」の解説
明治41年(1908年)、諏訪市大和の沖合500mの湖底から石器や獣骨が出土し、湖中の杭上住居址説や断層活動による水没説、湖水の増加による水没説など多くの説が飛び交った。1970年代の調査で、諏訪湖南岸の荒神山遺跡の住居跡の床面が食い違っていることがわかり、1980年代には諏訪湖南東岸の一時坂遺跡で、弥生時代の長方形竪穴住居跡の床面に約10cmの段差が生じていることがわかった。これらの調査から、断層活動による水没説が有力になった。
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