金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
主名称: | 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 |
指定番号: | 261 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1964.01.28(昭和39.01.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 大分県日田市日高町小字東寺古墳出土 |
員数: | 1面 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 古墳時代の資料。 |
考古資料: | 越後国菖蒲塚古墳経塚出土品 近江新開古墳出土品 金色堂須弥壇内納置棺及副葬品 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 金銅宝塔形経筒 金銅小治田安万侶墓誌 金銅山代忌寸真作墓誌 |
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 02:20 UTC 版)
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさく がんしゅ りゅうもん てっきょう[1])は、大分県日田市日高町にあったダンワラ古墳から出土した弥生時代中期の鉄鏡[2]。国の重要文化財に指定されている。金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡、金銀錯嵌珠龍文鏡とも呼ばれる。
- ^ 「鉄製の鏡の背面に金銀錯(金と銀を埋め込む)と嵌珠(色石を嵌め込む)で龍文(龍の文様)を表した」の意。
- ^ a b “鉄鏡(てっきょう)珠玉に煌めく鏡”. 大分歴史事典. 大分放送. 2002年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月9日閲覧。
- ^ “金銀錯嵌珠龍文鏡”. 大分の古代美術. 大分放送. 2002年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月9日閲覧。
- ^ 宮代栄一 (2019年9月8日). “曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表”. 朝日新聞. オリジナルの2019年9月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 宮代栄一 (2019年9月8日). “卑弥呼がもらった? 曹操墓出土と同型の鏡、なぜ大分に”. 朝日新聞. オリジナルの2019年9月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 関裕二 (2016年10月11日). “国際人のための日本古代史 (79) 大分・日田の「鉄鏡」が鍵を握る「邪馬台国」論争”. 新潮社. 2016年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月9日閲覧。
- ^ a b 東京国立博物館所蔵『金銀錯嵌珠竜文鉄鏡』 - e国宝
- ^ “「鉄鏡」奴国王権の象徴? 九州国博の河野氏が講演 日田市”. 西日本新聞. (2017年4月28日). オリジナルの2017年4月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “日田出土 「鉄鏡」に新説 弥生時代大乱の末敗走奴国の王族が持ち込む?”. 西日本新聞. (2007年11月6日)
- ^ 楢原義則 (2018年11月15日). “古代史サミット:邪馬台国は筑後川流域? 「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」謎に迫る 20~22日、日田で/大分”. 毎日新聞. オリジナルの2019年9月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “卑弥呼の鏡「可能性高い」大分・日田で出土の鉄鏡 中国・曹操陵の発掘責任者が見解”. 佐賀新聞. (2020年1月3日)
- ^ 「日田市発見の文化財が九州国立博物館で展示公開」(PDF)『広報ひた』2011.11.1 No.1022、日田市、2011年11月1日、15頁。
- ^ 「文化交流展示室解説BOX 新年のスタートは、博物館で福を呼ぼう! 展示室の縁起物」(PDF)『Asiage』vol.23、九州国立博物館、2012年1月1日、4頁。
- ^ 関裕二 (2016年9月29日). “金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に表された2種類の龍 倭人の憧れか”. 西日本新聞. オリジナルの2020年9月8日時点におけるアーカイブ。
- 1 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡とは
- 2 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の概要
- 3 脚注
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