野村良昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/28 05:04 UTC 版)
野村 良昌(のむら よしまさ、生没年不詳)は、江戸時代中期の薩摩藩鹿児島城下の武士。本姓宇多源氏佐々木氏。通称は勘兵衛。諱は良昌。家格小番。モウソウチクを薩摩藩に輸入した薩摩藩側の現場責任者。剣術示現流の師範東郷実昉の舅で、東郷実乙外祖父。藩職は物頭、町奉行を勤める。また始羅郡山田郷地頭や薩摩郡高城郷地頭を兼務する。2回琉球に渡海し、2回目の物頭時代に琉球王国在番を命じられて琉球に行くが、この時に島津吉貴よりモウソウチクの輸入を命じられ、清からモウソウチク20株を輸入する。鹿児島に戻ると仙巌園にモウソウチクを献じる。
- ^ なお、「職掌紀原」では正徳2年以降、高150石以下の者に役料100石支給されるようになったとある。また、「薩藩政要録」では高150石以下に役料100石支給するが、新役については90石支給するとある。この事から、元文5年当時の野村家が石高150石以下であったことが分かる。なお、同じ日に同僚の薬丸兼慶も90石もらっている。
- 1 野村良昌とは
- 2 野村良昌の概要
- 野村良昌のページへのリンク