都立高校学校群制度の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 14:08 UTC 版)
「美濃部亮吉」の記事における「都立高校学校群制度の継承」の解説
学校群制度による東京都立高校入試は1967年度(昭和42年度)入学者から1981年度(昭和56年度)入学者までの15回で、うち12回が美濃部都政下の1968年(昭和43年)から1979年(昭和54年)まで実施された。 都立高校の進学実績低下の発端となったことがしばしば指摘される学校群制度は、最も実施回数が多くかつ一貫して実施された美濃部都政のイメージが強いものの、導入そのものは前都知事の東龍太郎時代末期になされたものであり、第1回入試は東都政下の1967年3月に実施されている(美濃部都知事初当選は同年4月15日の統一地方選)。
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