遺跡の出土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:33 UTC 版)
事業は2010年時点で、2年以上の遅れが発生していた。この遅れは海底トンネルのヨーロッパ側の終端予定地でのビザンティン帝国時代の遺跡の発掘が大いに関係している。(2005年に、4世紀のコンスタンティノープルの港「ポルトゥス・テオドシアクス(Portus Theodosiacus テオドシウス港)」の遺跡を掘り当てた。)歴史上これまでに発見された中で唯一のビザンチン様式の海軍艦艇らしきものの研究者による復元のため、建設計画がフルスピードで実施されることを妨げている[要出典]。さらに発掘により、アンフォラを含む古器物加工品、陶器の欠片、貝殻、骨、馬の頭蓋骨、袋の中に入った9つの人間の頭蓋骨等、イスタンブールにおける定住の最古の証拠が掘り出され、紀元前5000年より前から人間がイスタンブールに住んでいたことが分かった。建設工事の遅れによりトルコ政府は1日あたり100万ドルの収入が減るが、政府はその遺跡を破壊する余裕がない[要出典]。
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