辺野古の埋め立て承認
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2013年12月25日、東京で安倍総理と会談し、米軍普天間飛行場の代替施設として名護市辺野古の埋め立てを27日に承認する意向を固め、振興予算を予定通り確保できたとして、安倍総理に対し「私は応援団」「有史以来の予算」「驚くべき立派な内容」「これは良い正月になる」と発言した。また安倍総理に「140万県民を代表してお礼を申し上げる」とも発言したが、仲井眞は17日の沖縄政策協議会以降、県側と連絡の取れない状態にあった。12月27日、政府による辺野古の埋め立て申請について「基準に適合していると判断し、承認することとした」と表明した。 2014年1月10日、沖縄県議会の本会議において、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことは公約違反だとして、知事の辞任を求める決議が可決された。ただし、決議に拘束力はなく、仲井眞は辞任しない意向を示した。 2014年1月19日、渦中の名護市で知事選の前哨戦となる名護市長選挙が行われ、反対派の稲嶺進が圧勝した。 2014年4月10日に沖縄県と71団体で構成する「健康長寿おきなわ復活県民会議」を発足させて、沖縄県民の健康長寿を取り戻すための県民運動「いちまでぃんちゃーがんじゅうー県民宣言」を目指した。 2014年11月16日の沖縄県知事選挙には自民党の推薦を受け出馬。その後、次世代の党からも推薦を受け 選挙戦を戦ったが、オール沖縄で辺野古新基地建設反対を掲げた新人の翁長雄志に10万票の大差をつけられて落選した。
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