辛巳事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/07 08:49 UTC 版)
辛巳事件(しんしじけん)とは、神亀元年(724年)2月に聖武天皇が生母の藤原宮子に対して勅によって与えられた称号が詔によって撤回された事件。撤回の詔が出された神亀元年3月22日(724年4月19日)の干支が辛巳であったことに由来する。
注釈
- ^ 天皇の配偶者に対する称号としては皇后および妃があったが、当時の慣例では皇族の生まれであることが前提とされていおり、文武天皇は皇族出身の配偶者を取らなかった。
- ^ 虎尾達哉は長屋王邸跡で発見された所謂「長屋王家木簡」に記された「長屋親王」「長屋皇子」などの記載も、長屋王家内部で使われていた私称(公の場に出ないからこそ許された称号)であるとしている(虎尾、2021年、P136-137.)。つまり、長屋王も「大夫人」の内部での使用に関しては異論を挟める立場にはなかったことになる。
- ^ 筧敏生は辛巳事件で否定された筈の「大夫人」の号が淳仁天皇の生母に対して問題なく認められていることから、「大夫人」の和訓も「大御祖」と同じ“オホミオヤ”であった可能性を指摘し、詔の文面にもかかわらず発音上では藤原宮子を「大夫人」と呼ばせることに成功したと解する。これに対して、虎尾達哉は「夫人」の和訓が“オホトジ”である以上、本来の和訓に従えば“オホオホトジ”もしくは“オホキオホトジ”と読むべきであり、それを口頭では字面に関係なく“オホミオヤ”と言わせたとしている。
出典
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